自己実現という言葉が広まり、「みんなが活躍する社会」「だれもが輝く社会」などというキャッチフレーズもよく耳にするようになりました。
一時は、キラキラ起業女子とか、オラオラ虚業家なんて言う言葉が飛び交っておりました。
しかし、それによってみんなが生き生きしてきたかというとそういうこともなく、むしろ生きづらさに苦しむ人が増えているように思うのです。
なぜそうなるのか、そもそも真の「自己実現」とは、どういうことなのでしょうか?
「自己実現」にどんなイメージを持つのでしょうか?

自己実現という言葉に対して、あなたはどんなイメージを持っているでしょうか?
- 自分が輝くこと
- 自分が活躍すること
- 自分らしく生きること
- 自分の可能性を開花させること
自己実現に対して抱くイメージは人それぞれですが、多くの人が抱くイメージは、本来の自己実現とは対極の、利己的な欲望充足に近いものになっているように感じられます。
その背景として、「あなたも輝こう」「活躍しよう」といったメッセージが、「自己実現しよう」といったメッセージとともに、世の中に氾濫していることがあるのではないでしょうか?
それによって、やたら自己愛が刺激されます。
「自己実現している」とはどういう状態だと思いますか?

そもそも「仕事で輝く」とは、いったいどういうことなんでしょうか?
例えば、営業職であれば、同僚よりも多くの契約が取れたり、同僚よりも多く商品を売ったりできたら、それは「輝いている」のでしょうか?
平均以上の業績を上げることができれば、あるいは、ノルマを大きく上回れば、輝いていることになるのでしょうか?
それは、決して輝いているという感じではないと思うんです。
もしも、それが輝いているのだとしても、そんなことは、本来の自己実現とは無縁じゃないでしょうか?
実際に輝いていると思われる人物を思い浮かべてみましょう。
すぐに思いつくのは、活躍しているスポーツ選手、著名な作家や画家や音楽家、テレビでよく見るタレントなどです。
そこで分かるのは、広く知られているスポーツ選手や芸術家、人気タレントのように、特殊な才能に特に恵まれた人物を別にすれば、“輝いている”人などほとんどいないということです。
「誰もが輝く社会をつくろう」「一億総活躍社会」
――そんなキャッチフレーズを口にする政治家たちは、自分たちが輝いているつもりなのかもしれませんね。
しかしですよ、一般市民の目には、輝いているというよりも、どす黒い野心が透けて見え、見苦しさを感じさせる場合の方が圧倒的に多いんじゃないでしょうか?
結局のところ、仕事で輝くことなどめったにないし、「輝かないといけない」と思うことが生きづらさをもたらしているのであるのです。
では、どうすれば自己実現につながっていくのでしょうか?

ボク個人が思っているのは、世の中のほとんどの人は、生活のために仕事に追われているのであって、別に輝くために仕事をしているわけではないんじゃないでしょうか?
毎日、毎日、生きるのに必死なのです。
それなのに、「輝こう」「活躍しよう」といったメッセージが世の中に氾濫し、それを踏まえたキャリア教育が学校で行われ、「仕事で輝いて自己実現しよう」などとあおられている。
だから「自分が」「自分が」と自己中心的にものごとをとらえる心理傾向が助長され、利己的な心が作られていくのじゃないか?って感じるのです。
それによって、自己実現への道からそれてしまっているように思います。
なぜなら、本来の自己実現とは、輝くことや活躍することを指すのではなく、そのような利己的な動きとはかけ離れたものであるからです。
では、自己実現とはどういうことなのでしょうか?
ボクは、思います。
何かのために我を忘れて打ち込むことにより、知らないうちに自分の中に潜在する能力が最大限発揮されていくこと。
そのような動きが自己実現なんじゃないでしょうか?
そんな感じで・・・
ではでは。
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