ボクは、人の意図や考えや気持ちについてはわからないと思う。
ある本でも「やればやるほどわからなくなる」と言っていた記憶があります。
小学生時代の苦い思い出
ボクは、沖縄という場所から転校してきた人間です。
考え方も違えば、価値観も違う。
しかも、肌色までが違う人種、そして何より、自分自身が何者なのかも未だに知らなかったのです。
なので、幼い自分を振り返ってみるとグレた理由が明確にわかります。
そのひとつに、国語の試験問題で「この登場人物は何を考えていたか?」や「作者の意図は?」に正解があるのが、不思議だったんです
だって、その先生は、その歴史上の人物とお話したの?ってなったんです。
あんたは、宇宙人か?それとも、過去から来た人か?という疑問がどんどん湧いてくるわけです。
ボクは、小学校低学年から尖っていたので、子どもながらに不思議に思い、質問したら、なんと廊下に立たされたんです。
そんなひどい経験があるぐらいですから、グレますよね(笑)
あとから、学校に育ての親が呼び出されて「この子の教育が・・・」といろいろ文句を言われ、さらには自宅に帰ってからは、育ての親が「ま、そんな大人もおるっていうことや・・・」という意味不明な回答された経験をしたことがあります。
あのときに「あっ、ボクがやったことは正しいけど、先生の立場を壊してはいけないから優しく言ったんだ」ということを後々に知ることになるのです。
ボクたちは自分のやっていることだって理由なくやっていることが多い
少なくとも、理由を考えながら、行動していない場合が多い。
後から、理由を考えれば推測できないこともないが、それが真実だという自信はない。
だから自分の心もわからない。
ましてや、人の心がわかるわけはない。
そのわりには、人を幸せにするために「人の身になって考える」とか「思いやり」とか書いてるわけですけど・・・。
人の心はわからないから考えたってしょうがないとは思わない。
逆にわからないからやってみようと思ったわけです。
人を喜ばすことができる可能性はあります。
ただし、そのためには、誠実に相手の幸せを考えた上でのことです。
少しくらいの失敗は、あとで十分にとり返すことはできます。
本当に相手のことを考えたのなら、きっとその気持ちが相手に伝わるのではないかと思うのです。
そもそも論かもしれませんが・・・
人間は、みんな人の目を気にして生活しているわけです。
人の目を気にし過ぎて、苦しむ人も多いのではないでしょうか?
人の目は、自分が頭の中で創り出したものでしかないのです。
ましてや、人の心はわからないのが普通です。
そんなもののために、自分が苦しむのは、めちゃくちゃ損だと思います。
人の心は、不思議なものです。
ちょっとしたことで幸せになったり、不幸になったりするんです。
人の心はわからないのです。
だから、ボクは、人の心を考えてみようと思ったのです。
どうしたら幸せになれるだろうかと?
そんな感じで・・・。
ではでは。
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