さて、今日から月曜日。
早いもので、2022年の1月の最終ターンです。
さてさて、今日も何気ない気づきから始めます。
つい「忙しい」という言葉は、便利で使いがちなんですが、ついこないだまで大嫌いなワードだったんですが、最近使っていい時と、ダメな時があるとボクは考えています。
何かを断りたくて「忙しい」と言う
言い訳というのは、大体が他人に対して使う言葉だと考えています。
何かの誘いや依頼を断る時に「ごめんなさい。忙しいのでちょっと・・・」という感じです。
世の中で使われている「忙しい」という言葉は、比較的便利な言葉で、言われた相手はそれ以上押しようがなく断り文句として使いやすいわけです。
だから、断るための言い訳として「忙しい」と伝えることは、悪いことではないと思うのです。
気楽に「忙しい」を理由にしてはいけない
けれど、何かをやりたいと思っているのに「忙しいから」という理由を使ってはいけないと思うのです。
- 部屋を片付けたいと忙しいから片付けられない
- 旅行に行きたいけど忙しいから行けない
- 転職したいけど忙しいからできない
- 資格取得したいけど忙しいから勉強できない
自分で「やりたい」と言っているのに、忙しさを理由にやらない人は、こんな感じじゃないでしょうか?
- 本当に「忙しさ」が理由で出来ないことがあるのだろうか?
- その「忙しさ」はやりたいことのためになんとか調整できないのだろうか?
- その「忙しさ」は一生続き、一生そのやりたいことをやらないつもりなのか?・・・etc
そんなことをボクは考えてしまうのです。
本当に自分のやりたいことなのか?
ボク言いたいことは「自分でやりたいと決めたなら無理にでも実行しないの?!」という意味ではないんです。
まず「忙しい」を理由にしてしまうくらいのやりたいことなら、やりたいと思わないほうが気持ちがラクなんじゃないか?ということです。
やりたくないことなら、やらない方法を考えればいいし、やりたいなら1日1秒からでも始めればいいんですよ。
で、よくある「◯◯したいけど◯◯できない」という考えは、自分で願望を持って、自分で願望を否定している構図で苦しみしかないように思うんです。
マジで悲惨以外の何者でもない。
「条件や制限がある中で、どうしたら◯◯できるだろう?」
こうやって考えたほうがずっと自分の願望を叶えられるんじゃないでしょうか?
・部屋を片付けたいと忙しいから片付けられない
→散らかさない工夫を始めてみよう。1日1箇所だけ片付けてみよう。
・旅行に行きたいけど忙しいから行けない
→どういう条件なら行けるか真剣に考えよう。寝ずに弾丸で行こう。
・転職したいけど忙しいからできない
→忙しいのが嫌で転職したいのなら辞めてリスタートした方が将来につながるだろう。
・資格取得したいけど忙しいから勉強できない
→資格取得に必要な勉強時間を調べて受験する年を調整しよう。
こんな感じで「忙しいから無理だ」という理由で諦めるのではなくて、どうだったらできるのだろう?と考えることは、とても大事なことなんじゃない?って思うんです。
じゃあ、暇だったら本当にやるの?って聞きたくなるわけです
もうひとつ考えたいのが「忙しくなかったら本当に実行するのか?」ということです。
忙しさを理由にやっていないことの中には、実はやりたくないと思っていることが含まれています。
アドラー心理学の考え方のひとつに「目的論」というのがあるんですよね。
原因があるから行動しないのではなく、行動したくないという目的があるから、何かしら理由を持ち出してくるのです。
この概念は、特に忙しさを理由に行動しないことにも当てはまると思うんですよ。
今日、突然24時間自由な時間ができたとして、そのやりたいことを妄想でもやろうとしないなら、きっとそれは忙しいのが理由でやってないんじゃないんです。
ただ、やりたくないからやっていないだけなのです。
まず「忙しい」を理由にした時には、必ず一度立ち止まってみる
何かを忙しさを理由にやれていないと感じた時、きちんと考えることでムダなストレスを抱えなくて済みます。
忙しくてやりたいことが出来ないという問題があるとします
- 忙しさを軽減する施策を打つ
- 他の何かを引き換えにする
- 周りの人に協力してもらう
- ちょっとずつでも良いから始める
本当はやりたくないことだと気づいたなら、そのやりたいことを捨てて、そのことは、考えないようにするんです。
そうすれば自分で自分を苦しめるような「◯◯したいけど忙しくて◯◯できない」といった悩みを抱えることはなく生きていけるでしょう。
うん、考える人ほどヒマなんです。
さ、今日も楽しんでいこう。
コメント