自分の感情を無視したり我慢して生きていると、自分のやりたいことが何なのか見えなくなってしまうことがあります。
ボクも、そのひとりです。
やりたいことをやるために、まず、時間を作りました
そして、次にやりたいことリストを作り、ひとつひとつこなしていきました。
そのリストは今まで何度も「やりたい」と心に浮かんできたことだから、こなすごとに脳がクリアになってく感覚がありました。
そうです。「やりたいことをやる」のは楽しいんです。
でも、ボクのリストアップしたことは、楽しさが一時的で、ずっと続くようなものはなかったんですよね。
やりたいことリストの内容を分類ごとにしてみました。
・娯楽 (例:旅行、買い物)
・後回しにしていた問題の解決(例:モノを減らす作業)
大半が、この2つだったのです。
とりあえずは「やりたいことをやる」をモットーに、実際やってみて思ったけれど、これは「やりたいことをやる」人生ではないことがわかったのです。
ちょうどある有名人のインタビューで「大変なこともあるけれど、やりたいからやってる」というセリフを聞いて、自分のやりたいことがズレてたなーと気づきハッとしました。
ここでいう『自分が挙げたやりたいことって、ただの娯楽じゃん。息抜きじゃん』みたいな感じですかね?
実は「やりたいことをやる=楽しいことだけをやる」じゃなくて、自分が探究心を持てる事柄について一生関わろうとすることが、「やりたいことをやる」と言えるんじゃないかなって思えたのです。
でも、そのリストを終わらせないと、もやもやとしたものが晴れない感覚もあるので、引き続きやってくつもりです。
娯楽も問題解決もせず、ただただ仕事だけの人生を歩んできてしまったという自覚が持ててよかった感じ…という感覚に収まった感じでしょうか?
今後は、自分が何について探究心を持っているのか気づいていきたいなぁ…と思います。
さ、今日もがんばろう。
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