ボクたちは仲間の成功や活躍を本当に心底喜べる人間であるかということ

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昨日は、京都で子どもたちが主導で行う講演会に参加してきました。

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雨模様の京都駅

雨が似合わない男。

気分は晴れ晴れといかないとですね。

ボクたちは仲間の成功や活躍を本当に心底喜べる人間であるか?ということ

さて、JCや青年部や後継経営者の会といった集まりが多く存在しますが、そこに所属してる人たち全ての人の事を把握し、その1人1人の成功を自分の事のように喜べるのでしょうか?

決してその会を否定するわけではありませんが、ボクはそのどこにも所属してないし、自分の主宰するコミュニティだけです。

過去も、今も、そして、これからも。

だってそんなに多くの人と会えないし、もっと言えば、会いたくない。その理由は全員とは分かち合えないと思っているからです。

講義や講演の後の会合( 飲み会 )って大事だけど、そんなに多くの人とも話せない。伝えられない。結果届かない。

ウェーイ!で終わってんじゃないのって?だから本当に関係性の深い人とだけ集まりたい。

飲みながらも笑って、そしてアツく語り合いたい。その人数ってきっと限られてる。

だから、少数で十分。

ボクたちは常にどこかで嫉妬する生き物です。

それは人数が多くても少なくても同じ。

いいなー。羨ましいなー。チキショウ!って。

でもそう思うことは決して悪いことじゃない。

その気持ちを糧にして、よし、オレも頑張らなくちゃ!って、もっとやってやるぞ!ってなれるからです。

でも、どうでしょうか?ほとんどの人はそう思わないんじゃないですかね?

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めっちゃ成功してる人や、めっちゃ活躍してる人が現れたら、ボクはあの人とは違う世界だからって勝手に決めつけたり、そうじゃない仲間だけで集まろうとする。

ボクはそうはなりたくない。

共に叱咤激励して、成功を喜び、失敗を悲しみ、それでいて一緒に解決していけるような仲間を作りたい。

とはいえ、ここではカッコいいこと書いていても、やっぱりそうカンタンにはいかないのも事実。ハダカになるってそれくらい覚悟がいるんじゃないかな?って思います。

ボクたちは、人生の共演者。

共に喜べる存在になれるか否かは、まずは自分で行動あるのみ。

良い仲間の定義とは?

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包み隠さず失敗を語り合えること。

もちろん誰にでも隠したいミスや失敗はある。

でもそんな失敗をちゃんと言えたり、受け入れる事が、その人の魅力であり、人間関係や、ビジネスも上手くいくコツ。

そして、決して傷の舐め合いならないように。

それぞれが自分の事業で売上をあげる。

利益を出す。

そうすると、またみんなで会った時に最高の笑顔で話ができる。

昨日の夢は無限大講演会を終えて思ったのはそんなこと。

ではでは。

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