出張先での打ち合わせが終わり帰っている最中です。
何事もなく、無事に終わり、今日は外食せずに、ホテルに大至急で戻って、部屋に閉じこもって、作業してました。
今日も、楽しいことがありすぎて、しかも、明日楽しいイベントに参加させていただく機会をもらって…
ちなみに、有名TikTokerに会えるらしいんです。
めちゃくちゃアポイントが簡単に取れる時代になってきたなぁ…って思います。
ホテルに戻り、部屋で作業をしていたら、たまたま流れていた番組で、ドラゴンボールの特集があったんです。
懐かしいな…
めちゃくちゃ見てたな、昔。
特にサイヤ人編からフリーザ編あたりを見ていたなぁ…と、自分の幼少期を振り返りながら、ふと思うことがあったんです。
それは「最初からできると、努力しなくなることもある」ってことだったんです。
たとえば、サイヤ人編で、地球に来たナッパとベジータ。
ベジータは別として、ナッパも一応名門出のエリートですが、下級戦士であった悟空に完敗します。
またフリーザ軍では、かつては、ベジータと互角と言われていたキュイが、ベジータにあっけなくやられてますし、ベジータよりも上であったはずのザーボンとドドリアも、成長したベジータに葬られています。
また全宇宙から精鋭を集めたエリート集団、ギニュー特戦隊の面々も、悟空たちに次々と敗れ去ってます。
さらに言ってしまえば、界王様から「決して闘ってはいけない。」なんて言われていたフリーザですら最終的には悟空に倒されてしまうわけです。
それで彼らに共通するのってたぶん、大して努力もしてないのにもともと強かったんじゃないかな?ってこと。
つまり成長する必要がないと思ってたんじゃないかなってことです。
もともと強くて大抵の敵には勝ててしまう。
努力しなくても問題なかった。
だから「別に修業する必要なんてないんじゃね?」って感じで自ら成長することをやめてしまった。
一方悟空やベジータには強さに対するあくなき向上心があります。
もちろん、物語がすすむにつれて「自分よりも強いやつ」っていうのがどんどん出てくるから成長せざるをえないっていう側面があることも否定はしません。
でも強くなる、成長するための努力っていうのを二人とも惜しまないんですよね。
特に悟空は成長への追及が異常なレベル。
仲間たちの集まりとかがあっても誘いを断って一人で修業をしちゃうぐらい成長したいってタイプですからね。
どこまでも成長し続けたいと思うわけです。
だから死んであの世に行っても修業し続けてさらにレベルアップするんですよね。
そんな風に「自分が強くなるため、成長することを追求し続ける。」って人と「成長することをやめてしまった」人だったらどっちが成果出るかなーってなったら考えなくても前者の方が結果が出やすいでしょう。
たとえ、最初は後者のほうが実力的に上回っていても時がたつにつれて、その差は埋まっていくだろうし、最終的には逆転をされてしまうんじゃないでしょうか?
少年マンガのストーリーを牽引する最大の動力、それは 成長なんじゃないでしょうか?
ざっくりした見取り図ですけど、世の中のアニメは、こんな感じなのかも?ってのを提示して、その先の、より包括的で歴史的で正確な議論のための叩き台になるかもしれません。
① 100→∞パターン
代表的なアニメで、言えば『ドラゴンボール』の悟空、『ONE PIECE』のルフィ、『キャプテン翼』の翼、『HUNTER✕HUNTER』のゴン、みんなはじめから超人的・天才的な才能をみせ、そこからさらに際限なく成長してゆく主人公たちではないでしょうか?
わかりやすいのが『ドラゴンボール』におけるスカウター数値のインフレが象徴しているように、このタイプの成長には際限がないわけです。
天才から始まって、永久に右肩上がり、ということで、これを「100→∞」パターンじゃないか?って思うのです。
この系譜の主人公は、だいたいが、天真爛漫・猪突猛進、死にかけても肉を食うだけで全回復するやべぇヤツらで、誰にも止められないパワーと、その傍若無人ぶりにもかかわらず、周囲の人を惹きつける魅力を持っています。
また、彼らを引き立たせるために、ベジータのような準・天才キャラが用意されるケースが多いと思います。
ONE PIECEでも、キャプテン翼でも、同じではないでしょうか?
主人公の自意識のなさと対照的に、彼らは「天才だと思ってたら上には上がいた」的な挫折と屈折を表明することが多いのではないでしょうか?
② 0→100パターン
2番めに重要なのがこのパターンで、『NARUTO』のナルト、『僕のヒーローアカデミア』のデク、『ヒカルの碁』のヒカルなどが、ここに属する。他にも、『マキバオー』『ダイの大冒険』などが挙げられます。
①のメジャー感には劣るが、こちらも名作ばかりではないでしょうか?
彼らも右肩上がりにぐいぐいと成長してゆくのですが、第一にスタート時点で「落ちこぼれ」であることが強調される点、第二に、①の無限の成長とちがって、こちらでは「火影」になるとか、到達可能っぽいゴールが可視化されている場合が多い点が異なります。
というわけでこれは「0→100」パターンと呼ぶのが良いのではないでしょうか?
ここに分類すると面白いのは、最近映画公開で話題の『スラムダンク』なんですが、これは、いささか特殊なので、最後に詳しく書こうと思います。
③ 100→100パターン
このパターンは、主人公がはじめから最強で、かつ、「少年」と呼ぶにはいささか高齢で、あまり成長してゆかないという顕著な特徴をもっています。
代表作でいうなら『北斗の拳』『シティーハンター』『忍空』『るろうに剣心』などがこの系譜に属していると思います。
これらのマンガの主人公は、いちおう成長するのだが、その加速度は①②とは比べ物にならないのです。
最初から最強で、そんなに成長しないということで、「100→100」であるのではないか?と考えます。
青年誌のマンガは、このタイプの主人公が多く、ひるがえって、いかに少年マンガが成長パワーに依存して描かれているかがわかるのではないでしょうか?
このパターンでは「かつての乱世で最強と謳われ畏れられた主人公が、当時の暴力的な自分を封じ、隠居生活に入っているハズが、とある事情で昔の力の解禁を余儀なくされる」といった設定が多いのです。
しばしば、物語の終盤では彼らが暴力を封印した理由であるところのトラウマ的な過去が明かされ、陰鬱な雰囲気が漂うのですが『銀魂』ではこれがギャグ化しているのがすごいわけです。
最後に、②で触れた『スラムダンク』の例外性について簡単に論じたいと思います
これは驚くべきマンガである。
けっしてバスケの天才ではない桜木花道を主人公に据えておきながら、彼はあんまり上手くならないのです。
いや、もちろん成長してゆくのだが、なみいる『ジャンプ』の主人公たちの天才ぶり・成長ぶりに比べれば、花道の成長などほとんど「0→0」だと言っていいのではないでしょうか?
この『ジャンプ』という少年誌で、しかもスポーツという題材でのこのリアリズムは、きわめてリスキーな邪道であるとされてきたように思います。
あまりにも地味だから…というわけで、このマンガはほとんど反・成長物語だと言えます。
いや、成長が『ジャンプ』の柱なのだとすれば、これはもはや反『ジャンプ』マンガだと言ってもいいのではないでしょうか?
このアンチ精神は、『スラムダンク』というタイトルと内容のクイ違いにも現れているのです。
というのも、物語のクライマックスでもっとも重要な役割を果たすのは、豪快なスラムダンクではなく、「左手はそえるだけ」の地味なジャンプシュートなんです。
『ジャンプ』に連載されている『スラムダンク』という名のバスケ漫画のクライマックスが「スラムダンク」ではないなどと、誰が予想できたでしょうか?
バスケの天才ではない彼による、この無根拠であるはずのセリフが滑稽に響かないところに、『スラムダンク』の凄さと謎があります。
なぜ天才ではない花道の「天才ですから」は感動的なのでしょうか?
それはおそらく、花道という凡才の主人公によって、王道を打ち立ててしまった『スラムダンク』というマンガの天才性を、花道が代弁しているからなのではないでしょうか?
ボクたちが、桜木花道の「天才ですから」に聞き取るのは、ジャンプ的な天才性にたいする『スラムダンク』というマンガの挑戦であり、そして、桜木花道という「庶民的」な天才による、その勝利宣言なのかもしれません。
どんな立場でも成長を追求し続けよう
今回、ボクは「悟空たちに敗れた敵たちは成長することをあきらめたんじゃないか?」ということを書きました。
そのため最終的には成長し続ける悟空たちに負けてしまったのだと。
これって、ボクらの日常生活の中でも活かせる教訓だと思うんです。
もしかしたら、何らかのジャンルで「自分はトップレベルだし、もう成長する必要もない」と思っている人がいるかもしれません。
ま、ある意味ではすごいのかもしれませんが…
けど、そうやって成長することをやめてしまうと、もしかしたらある日悟空のような成長に貪欲な人が現れてあなたを追い抜いていってしまうかもしれないのです。
そうならないためには、上でふんぞり返るのではなく「自分も成長しよう」という意識を持つことが大切です。
逆に自分は大したことがないと思っていたり、うまくいってないと思っている人は成長するチャンスです。
なぜなら「自分は大したことがない」なら、少なくとも慢心することはないし、大したことがない自分を変えるには成長するしかないからです。
つまりどの立場であっても成長を追求し続けようってことです。今できる人も僕のようにそうでない人もどっちも成長して損をすることは全くありません。
そのことを念頭において慢心することなく成長し続けたいものです。
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