今日も、怒涛の打ち合わせラッシュでした。
やっぱり、新しいことの立ち上げに関わることって嬉しいし、楽しいわけです。
グループメッセンジャーでミスってグループ全体に電話を鳴らしてしまった人がいたんです。
ま、人間誰もがミスはするし、誤爆だってあるわけです。
仕方ないことだと思ったんです。
ただ、人間として、ミスをしたなら素直に謝ればいいのではないでしょうか?
謝らないで、何事もなかったかのように進んでいくことがおかしいと感じました。
すごく印象に残ったんです。
と同時に、めちゃくちゃ考えさせられました。
言葉というのは凶器にも守りにもなる
言葉の力というものは人が思っているよりもずっと強力なものなのではないか、というのを感じました。
実際、言霊という言葉があります。
霊、と入っているだけでとんでもなくスピリチュアルな匂いがぷんぷんするのだけれども、霊的なもの云々というよりももっと単純なものなのではないかと思うんです。
すごくシンプルに言えば、言葉というものは「武装」にものすごく近いような気がします。
何に対する武装かというと、「感情」ひいては「自分自身」に対するものなのではないでしょうか?
例えば、このですが、こんな言葉を目にしました。
「怒られるのも、財産のひとつなんじゃないだろうか?」とか「お前のために言ってやってるんだ!」っていうのは時として押し付けになるし、怒りを原動力に伸びる人もいるんだろうけど少なくとも自分はそうじゃないし、というわけでその人に適切な伝え方をするのが1番良いと思うので、結局のところ「相手について知る」「相手を思いやる」ことが大切なのではと思う。
この言葉の中にある「お前のためを思って言ってるんだ!」という言葉は「怒り」という自分の感情を守っている部分があるんじゃないかと考えます。
一見して相手のことを思い遣っている風でありながらも、「怒り」を明らかに孕んでいて、その「怒り」を正当に(見えるように)ぶつけるクッション的な役割を果たしているのが「言葉」なのではないか、という具合です。
少しわかりづらかったでしょうか?
そこは、フィーリングでカバーしてもらえると嬉しいです。
そしてこの言葉はクッションという「守り」であると同時に、人を確実に傷つける「凶器」でもあるということです。
しつこく「お前のためを思って言っているんだ!」という言葉を例に出すのだけれども、もしかしたら、ある人は、メンタルが、絹ごし豆腐の如し(下手したらおぼろ豆腐)なので、こういう強目の言葉をかけられるだけで結構ボロボロというか、まともにダメージを食らってしまうわけです。
そういう意味で「言葉選び」というのは非常に重要だと思ったのです。
この「誤解をさせない言葉」というのを選ぶのは非常に難しいことなのだけれども、冷静に「どうしてそう思ったか」「なぜそのような気持ちを伝えたいと思ったのか」ということ。
この2点を強く意識して伝えようとするだけでも状況は、かなり改善されるわけで、感情を乗せて不用意にぽんっと言葉を出してしまうのは、非常に危険なことなのではないかなと。
それやる人、実際すげー多いですよね。
まあ、ボク自身も完璧にできるかっていうとできないです。
どうせ使うなら「手を差し伸べる」言葉を
またまたしつこく「お前のためを思って言っているんだ!」の言葉を例に出すんですけれど、これも「怒り」という感情を一度沈下させて「どうしてそう思ったのか」「なぜそのような気持ちを伝えたいと思ったのか」ということから紐解いてもう少し適切に言葉を組み立ててみると、まずは相手に「こういうことがあるとこういう理由で困っちゃうんだ」ということを伝えるべきなのではないかと思うんです。
その上で、「何かわからないことや困ってることがあるなら助けるよ」と手を差し伸べるようにすれば、頭ごなしに叱りつけるよりもずっと物事がスムーズに運ぶし、互いの理解を得られる可能性が高くなるのではないでしょうか?
ここまで書いて思ったけれど、伝える言葉が強くなるのは「感情を正当化させる」という側面のほかに「自分が拒絶されたときの予防線」という側面もあるのでしょうか?
万が一手を差し伸べたときに拒絶されるのが怖い。
だから一方的に言葉を差し出してしまうのかもしれません。
そして、その拒絶の恐怖が強ければ、強いほどに言葉も強くなるのかもしれないですが…
そう考えると、「言葉選び」と同時に「勇気」も結構大切なのかもしれない。
なんていう風に思ったりもするんです。
いやはや、人間ってすっごい難しいです。
さて、明日もがんばりますか。
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