突然ですが、ずっと勘違いしてました。
「本当のコミュニケーション能力」について
ずっと自分のことを「いい人」だと思っていたわけです。
取り敢えず人の悩みは聞くし、困ってる人がいればなんらかの手助けはするし、大体のことに対してノーは言わない。
実際に、そんなボクを「いい人だよね」とか、「優しい人だね」と言う声は、まあまあ多かったです。
まあまあ、っていうのは、ボクが相対的に関わっている人間が少ないからなんです。
が、多分一般論的にも、この条件って普通に「いい人」なんだと思います。
でも、ふと思ったわけです。
これって、本当に「いい人」なのかな?と。
常に、ヘラヘラしてきたボクは、まあまあ、顧客と関係は順調でしたし、取引先の社長からも一応「コミュニケーション能力がある人間」ということで、なにかしらの席に引っ張り出されることもありました。
他人との会話の仕方を教えてやってくれ…なんて言われたこともありました。
ただただヘラヘラしてただけですけど。
でも、実際そう言われたところで、わたしにはヘラヘラする以外のスキルがなにもなかったわけです。
コミュニケーション能力とかではないです、それは。単純に相手に対して都合の良い人間に成り下がっていただけ。
「こいつならなに言っても大丈夫だろ」「多少無茶ぶりして大丈夫だろ」と思われてただけ。
後輩に教えられることなんてなにもなかったわけです。強いて言うなら、「これをコミュニケーション能力だと思うな」ってことぐらいですかね。
人に振り回されるだけの人生を送ってきてしまったなあ、ということに対して、正直猛烈に後悔しています。
もっとシンプルに、「自分軸」で考えてみない?
そんな中で思ったのは、やっぱり「自分のため」に生きることが必要だと言うこと。
他人のことは度外視して、
・自分は本当はなにを感じているのか?
・自分は本当はどうしたいのか?
をとことん突き詰めないと、人はいつかダメになる。
そうやってうつ病なんかも増えていくわけで。
実際に、亡くなっている方もいるわけです。
報道を見る限りですが、あれもパワハラの要素が多分に含まれていたわけで「こいつなら、なに言っても大丈夫だろ」になってたと思います。
正直、「なに言っても大丈夫」な人はいません。
そんなのいたらロボットです。
そうならないためには、やっぱり「自分軸」で生きる必要があるんじゃないでしょうか?
「嫌われる勇気」という本もヒットしましたよね。
やっぱり世間もそういうことに気がついてるんだろうなあ…というのを如実に感じました。
今の時代に必要なのは、「たった2点の問いかけ」だけかもしれません
やっぱり今の世の中、「自己」をわかっていないと生きていけないと思います。
そのために必要な問いかけは、くどいようですが、たった2点ではないでしょうか?
- 自分は本当はなにを感じているのか?
- 自分は本当はどうしたいのか?
本当にシンプルにこれだけ考えれば、なにかしらの策が見えてくるんじゃないかなと思ってます。
まだまだ実践中です。
せっかくの年末です。
まとまった時間をとって、ちょっと考えてみて、新年を迎えたいと思います。
さて、明日もがんばりますか。
コメント