コンプレックスをバネにして努力することは良いことだが「捨てる」ことが大事であり、そうでないと意味がない

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昨日は、深夜まで、とてもいい時間を過ごしました。

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昨日のお話に続きというか、そういえばと思い出したのが、誰もが、多かれ少なかれ抱えることがある「コンプレックス」があると思います。

しかし「コンプレックス」で悩み、勝手に自分で自信を失う行為にはメリットが何一つないのです。

そんなこと言われないでもわかっているけど、悩んでしまうのがコンプレックスなのかもしれません。

そもそも「コンプレックス」とは

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「コンプレックス」とは「感情複合」や「劣等複合」など、何かが合わさった複合的な要素を指すようです。

精神分析で使われる概念。無意識のなかに抑圧され,凝固し,そのために意識された精神生活に影響を与え,ときに強い感動を誘発する観念の複合体をいう。さまざまな解釈があり,性的抑圧を重視する古典派のほかに,優越感や劣等感を重視する学派などがある。エディプス・コンプレックスやエレクトラ・コンプレックスは性心理の発達にかかわるひずみであるから,単に両親との関係にとどまらず,多くの場合,対人関係の障害を伴う。コンプレックスは日常生活のなかにも現れるが,また神経症の症状を形成する。

引用元 – コンプレックス

無意識下にある抑圧された意識・感情などが、何かしらの刺激により影響を与えられ、優越感や劣等感などの強い意識が活性化されるという意味でしょうか。

簡単に言うと、自分の気にしていること、抑えている感情などといったところです。

「◯◯コンプレックス」とは、よくある言葉ではあります

  • 優越コンプレックス
  • 劣等コンプレックス
  • 学歴コンプレックス
  • マザーコンプレックス(マザコン)
  • ロリータコンプレックス(ロリコン)
  • 身長コンプレックス

その中でも、日本人が好んで使うコンプレックスの意味では「劣等コンプレックス」が多いと言われています。

※以降この記事では、主に「劣等コンプレックス」についての記述です。

劣等コンプレックスとは、自分を卑下する感情です。学歴コンプレックスや身長コンプレックスもそうです。

  • 「自分の容姿が気に入らない、好きになれない」
  • 「自分の学歴を表に出すのが恥ずかしい」

ボクも、様々な面でコンプレックスを感じることもあります。

しかし、コンプレックスなんて結局は「無いものねだり」であったり、「本来の原因から目を逸らしている」だけのことであるのですよね。

コンプレックスはただの「自意識過剰」

物事が上手くいっていないと、人はコンプレックスを抱えることがあります。

自分に自信が無かったり、仕事が上手くいかなかったり、恋愛が上手くいかなかったりしたときに、その原因を「他」に求めようとします。

  • 「学歴があればもっと自分に自信が持てるのに」
  • 「もっと容姿が良ければモテたかもしれないのに」
  • 「もっと身長が高ければ堂々と出来るのに」

このような「劣等コンプレックス」は、単なる他人との比較だけであり、ただの現実逃避でしかありません。

他人はそこまであなたに完璧性を求めるほど意識はしていません。

逆に言うと、それだけ「自意識過剰」ということになります。

もし、このような自分の気になる部分を他人に指摘されるのであれば、その人もきっと同じような「コンプレックス」を抱いている同じ人種かもしれません。

「劣等コンプレックス」=「優越コンプレックス」

「劣等コンプレックス」を抱えてた人が、そのコンプレックスを克服して逆の立場になったとき、おそらくその時は「優越コンプレックス」になっているかもしれません。

それは、自分が上の立場になったことに優越感を感じ、相手を見下すような行為をとってしまう可能性があるということです。

劣等コンプレックスの時は自分で自分を苦しめていましたが、それを克服することによって心に余裕が生まれ自信が付いたということは、とても良いことであります。

しかし、みんなが皆そうだとは言いませんが、無意識下でも優越感が生まれたことにより、周りの人を上から目線で見ているかもしれません。

これも「自意識過剰」からくる感情であったりします。

このような場合、一時優越感に浸っていても、新たに上の存在が現れたら、一気に「劣等コンプレックス」に逆戻りなんてこともあります。

むしろ前よりひどくなっているかもしれません。

「コンプレックス」を捨てる努力をする

結局は「他人との比較」がこのようなコンプレックスを引き起こします。

努力でコンプレックスを克服することは凄いことであり、なかなか出来ることではありません。

しかしそこで「他人との比較」が無くならなければ、先ほど書いたように同じ苦しみを繰り返すことになりかねません。

そうなると、コンプレックス克服の努力と同時に、もしくはそれよりも優先的に他人と比較するコンプレックスを捨てることを意識するべきです。

「ありのままの自分で良い」というよりは、「ありのままの自分で勝負する」といった行為が、勝敗は別にしても自分の「自信」につながるのかもしれません。

いかがでしたでしょうか?

わかってはいても、簡単に自分のコンプレックスは捨てられません。

簡単に自分のコンプレックスは捨てられません。

ボクも、捨てられずにいろいろ持っています。

しかしそうは言っても、やはり不要なものは不要です。

そのコンプレックスをバネにして努力することは良いことですが、コンプレックスを「捨てる」ことが大事であり、そうでないと意味がありません。

自分が気にしているほど周りは気にしていないのではないでしょうか?

今日も一日がんばったので、とりあえず近所を散歩した先で晩ごはんをしてきました。

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つくもうどん 塩小路本店

さて、明日もがんばりますか。

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