最近仕事が忙しく、頭や心がぐるぐると、目まぐるしく回っている時期が続いています。
このような時というのは大抵物事は上手く回らないものです。
わかっちゃいるけどなかなか抜け出せないんですよね。
「忙しい」とは心を亡くすということ
よく言われていることですが、「忙しい」という字は「心を亡くす」と書いて表されます。
つまり、忙しくなればなるほど心に余裕がなくなっていくということです。
「あれもやらなきゃ」
「これもやらなきゃ」
頭の中にあれもこれもとどんどん色々なことを詰め込んで、心がわんさかと騒がしくなり、どんどんてんやわんやになって余裕がなくなってきます。
このような時というのは、頭の中は一生懸命処理を進めようと働くのですが、実はまったく働いていません。
心に余裕が無くなっていることに気づいていても、一生懸命落ち着かせようとしたり、冷静になろうとしても、逆にどんどん不安などが入り込んできます。
それでも現実は目の前の忙しさがなくならなければ、どんなに頭や心に余裕がないとわかっていても、目の前の忙しさを横に置いてちょっと休憩しようとは出来ないものです。
余裕がなくなるとはそういうことです。
自分にはリフレッシュが必要だと思って、気分転換に飲みに行ったり、読書をしたり、音楽を聴いたり、ゲームをしたり、友達と遊びに行ったりしても、それでリフレッシュできる場合もありますが、そう簡単にいかない場合もあります。
何をしても、頭はその忙しいことでいっぱいです。
例えリフレッシュのために違うことをしていても、頭はそんなときでも仕事などの忙しいことでぐるぐる回っていて、結局は無駄な時間を過ごしたと感じて更に焦ってしまったりという悪循環に陥ることもあります。
ボクも、今はそんな状態です。
そんな頭や心に余裕のない状態になると、普段は出来ていることすら出来なくなっているなんてこともあるから困ったものです。
はたから見たら「なぜそんなに忙しいんだろう?」「なぜそんなにいっぱいいっぱいなんだろう?」と見えているかもしれません。
自分なりのリフレッシュで、余裕のない状態から脱出できることはよくあるんですけどね。
それでもたまにこのような状態に陥ることがあるんです。
心に余裕がなくなる原因を考えてみる
では、なぜ普段は出来ることが出来なくなり、普段は出来るリフレッシュが出来なくなるのか?
それは時間が解決してくれることもありますが、どうにかしたいのであれば自分なりに自分を分析することも大切です。
心に余裕がなくなる原因なんていうのは人それぞれ千差万別です。
- 初めてのことでわからないことだらけだった
- 経験が浅いことにより対応が未熟だった
- 自分のキャパを超えた責任を背負わされた
- 自分の考えが甘かった
- 何でも考えすぎてしまう性格のせい
- etc
たまたま、色々なことが重なってしまったり、不幸や不運が続いてしまったり、自分だけが原因というわけではなく、周りの環境によってやむなく忙しさに振り回されてしまうこともあります。
では私の場合はどうなのか?
これは簡単に言うと、頭や心の中が「嫌だ嫌だ」に結構支配されていたようです
仕事などで、色々な責任が自分にあれもこれもと押し付けられ、避けようとしても避けれない状態と思ってしまったんですね。
まぁ、これは最初の段階で心に余裕を失くしてしまったことによる、ボクの勘違いなんですけどね。
人は、所詮自分自身のキャパ以上のことは抱えられないし、抱えられるわけもないし、抱える必要もないと思っています。
そんな中でも自分なりになんとか出来ることをしようと考えて、そして努力することは大切なことですけどね。
それでも全部をしょい込む必要なんてありません。
経営者などは別かもしれませんが(そう簡単に逃れられないという意味)、仕事なんて特に一人の人間がしょい込む責任なんていうのはありません。
これがあるとすれば、それは自分自身の勘違いであり、周りの人間の勘違いです。
ボクは、最初の段階でこの勘違いをしてしまったのです。
普段なら気づけることも、時とタイミングにより失敗することもよくあります。
このような状態のとき、私の頭の中は「嫌だ嫌だ」でいっぱいだと気づきました。
- 「なんで俺がこんなことを」
- 「なんで俺ばっかり」
- 「周りももっと責任もってやろうよ」
- 「なんで俺に責任が回ってくるんだ」
表面上は「なんとかしよう」といっぱいでしたし、周りにイラッとするときもあるけど、単純に責めることなどもしてません。
もちろん言うべきことは上下関係なく言っていましたが、やはり表面上は「自分の責任」と自負してしまっていたのです。
しかし自分の奥底を除いてみると、先ほど書いたように「なんで俺が」「もう嫌だ」こんなことばかりが渦巻いていました。
まさに心を亡くしている状態です。
リフレッシュもいまいち効果がありません。
何をしていても「嫌だ」ばかりが付きまとっていたのでしょう
しかし、このような自分の本当の声になんとなくでも良いから気付けたことにより、「なんかアホらしい」と思える余裕が出来てきました。
ここまで来れば、足を一歩抜け出したようであり、油断をしなければもう抜け出せるでしょう。
もちろん、そう簡単に上手くいかなこともありますが。
当たり前ですが、アホらしくなったといってもやるべきことを投げ出すわけではありません。
しかし出来ることと出来ないことの線引きはできますし、それ以上のことは例え失敗したりしても気にしないように出来ます。
良い意味での開き直りです。
頭や心に余裕がなくなるとき、
そんなときは何をやっても上手くいかなくなるものです。
今回のボクの場合は、上で書いた状況でしたが、次はまた別の心の声があるかもしれません。
でも大抵この「嫌だ」という声が心の奥底にあるような気がします。
例えば、どんなに忙しい人でも、それを喜々としてやっている人もいますよね。
その人の心の奥底は、きっと「嫌だ」ではなく「楽しい」なんでしょう。
そう考えると、上で書いた私のような「開き直り」などではなく、今忙しくやっていることを「楽しもう」とすることの方がきっと多くのことを得られるのだと思っています。
さて、明日もがんばりますか。
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