以前、こんなことを書きました。
これの続きですが…
どんな仕事であっても、仕事は、大変なことが多々あります
それは、過度の作業量であったり、イヤな取引先との人間関係であったり、やりたくない仕事ややりがいが感じられない仕事などなど…
そうは言っても、生きていくためには、やはり仕事を続けていかなければいけません。
続けないといけないのですが、
- 「嫌な人間関係がある」
- 「仲間、同僚との人間関係がうまくいかない」
- 「自分のやりたい仕事ではない」
- 「仕事がつまらない」
- 「自分の成果を認めてもらえない」
このような仕事への不満は、どこへ行ってもつきものです。
そして、仕事を変えよう、仲間から離れようなどと頭をよぎる人も多いことでしょう。
しかし、このような不満から、仮に自分にとって良い方向に進むことが出来たとしても、時が経てば、違う環境でイヤな人が来るかもしれないし、望んでいない場面にでくわすこともあるかもしません。
結局、イヤなことを避けて逃げているうちは、キリがないことでしょう。
とはいっても、ケースバイケースですけどね。
心身を壊す程度であれば別ですが…
仕事が出来ない、うまくいかない、人間関係がうまくいかないなどの「後ろ向き」の理由で解決策を考えたとしても結局は同じ目に合う可能性が高いです。
そうではなく、より自分自身を向上「給料ややりがい等」させるための「前向き」な解決策を考える方がいいんじゃないでしょうか?
などというのは、よく言われていることです。
ボク自身も何回か仕事を変えたり、内容を見直したりなどを経験していますが、やはり同意見にいたっているのでした。
「やらされている感」がある仕事はつまらない
同じ仕事の作業をするにしても、嫌々するもしくは言われたことだけをするのと、自分から進んでする仕事では得られるものに大きな差が出てきます。
新人であろうがベテランであろうが、上から(上司やお客から)指示されたことだけをしていると、やがて不平不満が溜まっていきます。
上から指示されたことをするのはある意味当然ではあるのですが、それを「言われたから」というだけで仕事をしていては、そこに仕事への「責任感」はあまり感じないようになります。
責任感が感じられない作業を坦々とこなしていれば楽かもしれませんが、そこで自分の思うような結果が得られないことが起きると今度は「他責」が生まれます。
そして他責は不平不満に置き換わっていきます。
- 仕事のミスが発生したのは自分のせいではない
- スケジュールが遅れたのは自分のせいではない
- 自分の仕事が評価されないのは自分のせいではない
- あいつが悪い、気に入らない
- 仕事がつまらない
- やりがいが感じない
- 給料が安い
例え自分の責任ではない場合でも、とばっちりを受けて不平不満はつのります。
結局何が言いたいかというと、やらされているという感覚で仕事をしていると、当然やりがいなんて感じないし、仕事はつまらないし、いつかは辛くしんどくなるということです。
それは、仕事の不満、人間関係の不満、給料の不満など、あらゆるものが不満となって積み重なっていきます。
そして、やりがいのない仕事で一日の大半を過ごすのは、それを何年も何年も続けなくてはならないというのは、それはきっと拷問に近い感覚となることでしょう。
仕事をするにあたって、やりがいが感じられる仕事とやりがいが感じられない仕事では、それだけで人生の楽しさや辛さに差が出てきます。
「オレは、やりがいよりもお金の方が大事だ!」
…というのもあるかと思いますが、どんなに給料が良くてもそこに「やりがい」や「居場所」がなければ、しだいにつらくなっていくものです。
逆に仕事のやりがいはあるけど給料が安いという場合もあるかと思います。
が、そのときは、仕事を変えるなり、起業なりすればいいだけです。
これは、前向きな仕事の変え方がと思うのです。
自分から、進んでやることにより仕事に「やりがい」は生まれる
会社であるなら上司から指示された仕事をするだけだとしても、それを自分の責任としてするのか、それとも責任は上司に預けたまま言われたことだけをするのか、によって仕事の「やりがい」は変わってくることでしょう。
責任は当然指示した側も受けた側も発生する場合があり、あくまで自分の心情的な意味合いの「責任感」のことです。
例えば、新人や下の立場の人というのは上司からの作業指示で動くことが多いですが、これを上司の仕事の手伝い的な感覚でするのと、自分の仕事の感覚でするのとでは成果や評価に大きく差が表れます。
単なる作業指示の中にも、内容の改善点や作業の効率化、上司の指示ミス発覚などなど、様々なことが埋まっています。
そこに気付けるかによって、単なる作業が自分の成果や評価に変わっていきます。
仕事で評価される人、出世していく人というのは、つまらない仕事であっても自ら進んで成果を上げていく人です。それが評価につながります。
例え最初は、自分を偽って無理やり作ったやりがいであっても、次第に本当のやりがいに変わっていくものです。
言われたこと、指示されたことだけをやっているだけでは、最低限の評価しかされませんし、評価がされなければやりがいも生まれません。
結局、仕事のやりがいというのは、自分次第ということです。
他人が、わざわざ与えてくれるものでは、当然ありません。
人生の大半を占める仕事において「やりがい」があるかどうか「やりがい」を自分で作り出せるかどうか、これによって上に行くか下に行くか、前に進むか後ろに下がるか、など大きな格差が生まれていくことでしょうか?
そして、仕事だけに限らず、この前向きな姿勢は多くのことを得られるようになります。
いかがでしたでしょうか?
いろいろ書きましたが、まぁつまらない仕事はつまらないのです。
しかし、そのつまらない仕事をどうやって面白い仕事にしていくか、やりがいのある仕事にしていくかは、やはり自分次第だと思います。
そしてその「やりがい」を次のステップなどにつなげていけばいいのです。
毎日仕事で忙しい日々を送っていたとしても、命令されてイヤイヤ残業するのと、何とか出来ることは頑張ろうと前向きに仕事をするのでは、成果も効率も、何よりストレスの蓄積にも差が出てきます。
どうせ残業をしないといけないのであれば、せめて仕事中ぐらいは自分を偽ってでもやりがいを持たせるのもありだと思います。
但し、残業を減らす工夫や体調管理などは当然考えていくべきですし、やりがいを持つということは社蓄になるということでも何でもありません。
当たり前です。
ただ、人なんて誰でも弱い部分があるものです。
一度不平不満などで心を埋め尽くされてしまうと、そこから這い上がるのはなかなか大変なものです。
そしていつまでも愚痴や不満をこぼしていたり、仕事を辞めて家にこもってしまったりなど。
結局、仕事に限らず、自分の人生をつまらなくするのか、少しでも面白くしていくのか、これは自分次第でありますし、自業自得でもあるのではないでしょうか?
おぉぉぉ、いろいろ書いていたら、移動時間を超えてしまいました。
やばい、急いで移動しよう。
さて、明日もがんばりますか。
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