さて、リモートワークでの打ち合わせでした。
うん、取引先の方の進行の人は、コミュニケーションが上手ではあるけれど、仕事がうまく回っていないのが、謎すぎる。
そんなことを考えながら昼ごはんを食べていました。
仕事におけるコミュニケーション能力というのは、結構どこの業界でも言われていることです。
実際に社会に出れば出るほど、コミュニケーション能力というのはかなり重要視されたりします。
しかし、実際に求められる「コミュニケーション能力」というものは、人としてと言ったら大袈裟ですが、社会人として必要最低限なコミュニケーション能力のことでしょう。
必要最低限なコミュニケーション能力
このブログでも、コミュニケーション能力について、いくつか書いたような書いていないような気がします。
さて、ボクも様々な仕事をしてきているわけですが、あくまで狭い範囲の経験と知識で書いていることかもしれません。
社会が仕事におけるコミュニケーション能力を求めるのは、あくまで「最低限」のコミュニケーション能力だと思います。
もちろん、その能力が高ければ高いに越したことはありません。
しかし、仕事で求められるコミュニケーション能力とは、仕事が円滑に進むようにするための必要なコミュニケーション能力です。
わかりやすい昔ながらの例えで言うと、「ホウ・レン・ソウ」(報告・連絡・相談)です。
仕事というのは基本的に一人で成り立つものではないので、最低限人との関わりの中でこれら(報告・連絡・相談)は必要になってきます。
つまり、仕事で求められるコミュニケーション能力なんていうのは、ある意味社会人の常識であるこれらで十分なのです。
必要以上のコミュニケーション能力はあってもなくても?
必要以上って?
基本的には上で書いた最低限のコミュニケーション能力(報告・連絡・相談)を指しています。
さて、コミュニケーション能力というと、必要以上に人間関係を重要視し、誰とでも「良い関係」が保てて、明るく前向きで、おまけにリーダーシップを備えたような人間を指す人が居ます。
このような一種のスーパーマン的な人間をもって、コミュニケーション能力が備わっている人、と判断している人がたまに居るのです。
しかし、実際にこのようなコミュニケーション能力に優れた人材を欲している企業というのは、ごく一部の企業(そういう人材がどうしても必要な企業)か、コミュニケーション能力勘違いバカ企業ぐらいです。
上でも書きましたが、もちろん高いコミュニケーション能力は価値がありますし、あって損はない能力ですが、では高ければ仕事が出来るかと言えば単純にそんなことはありません。
つまり、必要以上のコミュニケーション能力は、単なる付加価値的な能力であって、仕事が出来なかったり、最低限の報告・連絡・相談が出来なければ、それはなんの価値もありません。
結局は、仕事が出来るか?出来ないか?
企業の社風であったり、職種によって異なるかもしれませんが、仕事なんていうのは結局その仕事が出来るか出来ないかです。
ボクの周りでも、今までにコミュニケーション能力がやたら高い人(誰とでも仲良く出来るムードメーカー的存在)が何人も居ました。
このような人が職場に居るだけで、場は明るくなりますし、いわゆる良い雰囲気の職場になります。
このようなコミュニケーション能力が高い人材というのは、それだけでも職場の雰囲気を良くして結果的に全体的な生産性につながっていると評価されれば、会社の評価は高くなりますし、それも納得てきます。
しかし、そのような間接的な影響をいくらもたらしても、やはり仕事に対する信頼がなければ長続きはしません。
どんなにみんなに好かれていても、仕事のミスが多く、生産性も低く、仕事の信頼がなければ、結局は評価はされなくなります。
また、これは別の話ですが、やたら人との人間関係、いわゆるコミュニケーション能力を重要視する人(結構年配の方)が居ました。
誰とでも気軽に会話をし、つまらない会話でもそういったコミュニケーションを大切に思い、逆につまらない会話を一切しない人(別に本人には悪気はなく)に対しては、いつもダメ出しをしているような人でした。
ボクも昔はそういう立場だったのでわかります。
「なんでもっとくだらない話をしないかな…」
「もっと俺らみたいにバカ話しないと…」
こんな感じでしたから。
ごもっともな部分でもあり、多くの無駄話による会話から、仕事への良い人間関係が育つことも多々あることです。
しかし、このような人たちは、残念ながら仕事の評価が低く、顧客からの仕事の信頼も薄かったため、結局居なくなってしまいました。
結局何が言いたいかというと、先に書いたとおり、必要以上のコミュニケーション能力というのは所詮「付加価値」に過ぎないということです。
仕事が出来れば「人間性」なんて必要ないなんて言うつもりはまったくありません。
ですが、しかし人間性(人間的魅力)で仕事が評価されれば誰も苦労しません。
そもそも仕事とは、当たり前ですが、遊びではないからです。
逆にちょっと取っつきにくくて、何考えているかわからないような人でも、最低限のコミュニケーション能力(報告・連絡・相談)が備わっていて、それでいて仕事にまじめに取り組み成果を出している人というのは、取引先であるお客様からも評価は高いものです。
その人の考え方のレベルにもよりますが、見ている人はしっかり見ているということです。
というより、企業は利益・生産性を求める場所です。
だから、その仕事の成果につながる人材を評価するのは当たり前のことです。
いかがでしたでしょうか?
常々思っていることではありますが、学生におけるコミュニケーション能力と、社会におけるコミュニケーション能力を勘違いしている人というのが結構いるなと感じることがあります。
ボクも、決して偉そうに言えるような能力はありませんが。
ただ、昨今はすぐに会社を辞めたり、鬱や引きこもりになってしまう社会人もまだまだ多いんじゃないでしょうか?
その背景には、やはり職場の人間関係があります。
その人間関係にはきっといろいろな要素がそれぞれあることでしょうけど、その中の一つとして、自分で勝手に自分自身を「コミュニケーション能力が低い」と決めつけてしまう人が居ます。
しかし、上でも散々書きましたが、仕事におけるコミュニケーション能力とは最低限のもので十分ですし、逆に仕事をするには最低限のコミュニケーション能力がなければ仕事になりません。
それ以上のコミュニケーション能力なんてものは、別にどうでも良いのです。
仕事とは学校でもなければ遊びでもないからです。
友達を作るところでもありません。
当たり前です。
もっともっと会社で出世をしたかったり、評価されたいのであれば別ですが、あくまでも社会におけるコミュニケーション能力というのは仕事で成果を上げるためのものであり、同僚と仲良くする必要なんてどこにもありません。
ということです。
もし、コミュニケーション能力を重要視していたり、悩んでいたり、人間関係に悩まされたりしているのであれば、そんなことは気にせずに黙々と仕事に励むべきです。
人間関係は大切ですが、それも仕事あっての人間関係なのではないでしょうか?
そんなことを考えさせられた一日でした。
これから、もうひとつ仕事して帰りたいと思います。
さて、明日もがんばりますか。
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