「ご縁」という日本語に込められた深い意味は、どれ一つ取ってみても、当たり前ではない

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普段からよく使う日本語の一つとして、「ご縁」というものがあります。

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今日、参加させていただいたイベントも、ひとつのご紹介、ひとつの縁で始まったわけです。

例えば、「これもご縁ですね~」「この度は、大変素晴らしいご縁をいただきました」「あの人やあの場所には何かとご縁がありまして」「またご縁があるとよいですね」など、誰もがさまざまな場面で使用しているのではないでしょうか?

実は、ボクは、最近になってから、この「ご縁」という言葉を人一倍使っているように思います。

しかも、ある時から、頻繁に使うようになった気がします

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通常、ボクたちが使う「ご縁」の意味は、出会い、機会、関係などを意味する場合がほとんどです。

そういう意味では、「ご縁」は「meeting」「encountering」「chance」「condition」「relationship」というような英単語を当てはめることができるのではないでしょうか?

実際、初めてお会いした方との別れ際に「この度は本当によいご縁でした」という気持ちを英語で伝えるときには、よく「It was very nice meeting you!」というひと言と握手を交わします。

これは、英会話の参考書やネイティブの方の実際の会話を見習って、英語が全くしゃべれないボク自身がよく使用する英会話表現のひとつなんです。

しかし、ボクはこの表現がどうも自分の意図する「ご縁」の英語として考えたとき、しっくりこないのです

相手との出会いだけに感謝するのであれば、問題のない表現かもしれません。

しかし、ボクたちが意図する「ご縁」は、ただ出会いや機会そのものを意味するのではないと思うのです。

おそらく、ボクたちは出会いや機会そのものというより、結果としてそれらをもたらしてくれた不可思議なはたらきかけ、もしくは力を含めて「ご縁」と呼び、感謝をしているはずです。

つまり、出会いや機会を結果として成り立たせている背景をも、大事にしているということです。

ここに表面や結果だけにとらわれるのではなく、背景にある目には見えないものを観るという、日本の精神文化の深さが感じられます。

余談になりますが、そういう意味では、英語にはこのような不可思議なはたらきかけというものを表現する言葉がないのかもしれません。

だからこそ、その穴埋めとして「神」というあらゆるものを超越した存在を置き、神の力としてその不可思議な現実を納得させる英語表現にせざるを得ないのでしょうか?

その例として、教えていただいたのが「ご縁」は時として「Our meeting was linked by fate!」と訳されることがあるというのです。

これは「私たちの出会いは(神に定められた)運命によって結ばれていた」というような意味なります。

縁起という教えから生まれた「ご縁」

では、考えてみたいと思います。

実際に「ご縁」に含まれるその不可思議なはたらきとは、一体何なのでしょうか?

ボクは、この根底にあるのは「物事はすべて繋がって成り立っている」という考え方だと思っています。

これは、仏教でいう「縁起(えんぎ)」の教えです。

縁起とは「因縁生起(いんねんしょうき)」の略です。

物事には因(原因)があり、それに縁が作用して生起(物事/結果が起こること)すると読み解きます。

これは、英語で考えた方がよりイメージし易いので、英単語を使って説明してみたいと思います。

縁起は、英語では「Dependent Co-Arising」といいます。

「Dependent」とは、「依存する」という意味です。

「Co」とは「同時に」を指し「Arising」は「起こる(生起する)」の意味です。

つまり、「(物事は)同時に生じること(の作用)に依存して成り立っている」という意味です。

出会いひとつにしても、数えきれない無数の事象が関係し合って成り立っています。

別の言い方をすると、無数の事象が一つでも欠けていれば、その出会いはまた違ったものになり、極端な言い方をすれば、その出会い自体が存在していなかったかもしれません。

これが「ご縁」という言葉の中身ではないでしょうか?

実は、今直面しているボクたちのそれぞれの現状は、無限に広がる生起の重なり合いによって成り立っており、不可思議としか言いようがありません。

「ご縁」という言葉は縁起に由来していますが、本来ならば「縁」だけで充分です。

しかし、「縁」の前に「ご」が付くのはなぜか考えたことはあるでしょうか?

普段、ボクたちは当然のように人と会い、ご飯を食べ、生活していますが、実はどれ一つとっても不可思議なことであり、当たり前ではないのです。

無意識にも二度と巡り遇うことができないという感覚がはたらき、有り難い(めったにない)という感謝の気持ちが起こり「縁」を尊ぶために「ご」という敬語を付けて「ご縁」というのです。

ボクの口癖になっていたこの言葉をからっぽにしないためにも、事象の背景にあるものに目を向け、自分を包んでくれている「ご縁」に感謝することを忘れないようにしたいと思うのでした。

さて、明日もがんばりますか。

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