東京出張にきています。
人の悩みなんてものは、本当にキリがないものです。
悩みが解決した(もしくは忘れさられる)としても、また新たな悩みが出てきたり、前の悩みをぶり返したりと…
悩みの大半は「悩んでもしょうがない」こと
ボクも、つまらないことでよく悩んだりしてしまうことがあります。
ついつい、悩んだり考えこんでしまう、そんな自分がイヤになるときもよくあります。
- お金の悩み
- 仕事の悩み
- 勉強の悩み
- 家族の悩み
- 交友関係の悩み
- 人間関係の悩み
- 身体的な悩み
- 将来の不安の悩み
細かいレベルで言えば、悩みなんてものは、人の数だけあります。
しかし、悩みの大半は「悩んでもしょうがないこと」とはよく言われる言葉です
当人にとっては、それは生きているのが辛いほどの悩みかもしれません。
また、自暴自棄になるような悩みかもしれません。
悩みやその辛さは、本人にしかわからないものです。
それでも、やはり「悩む」という行為は、自分で自分を痛めつけていることになります。
「悩む」ことと、「考える」ということとは違うということです。
さて、そもそも「悩む」とはどういう意味を持つのか?
1 決めかねたり解決の方法が見いだせなかったりして、心を痛める。思いわずらう。「進学か就職かで―・む」「恋に―・む若者」「人生に―・む」
引用元:コドバンク – 悩む
2 対応や処理がむずかしくて苦しむ。困る。「騒音に―・む」「人材不足に―・む企業」
3 からだの痛みなどに苦しむ。また、病気になる。「頭痛に―・む」「持病のぜんそくに―・む」
4 とやかく言う。非難する。
5 (動詞の連用形に付いて)その動作が思うようにはかどらない意を表す。「伸び―・む」「行き―・む」
引用では「痛み」「苦しみ」「困る」といううれしくない言葉があります。
ところが、 「考える」という行為にプラスして、苦しみなどが伴う場合のことを指すのでしょう。
ざっくりですが、「悩むこと」と「考えること」をこの記事内のこととして定義をすると、まず 「悩むこと」は、その考えることに対して、辛くなる苦しくなるように心を痛めてしまうということです。
では、なぜ「悩む」(辛かったり苦しかったり)のでしょうか?
それは、今の自分の考えでは「解決しないから」とも言えます。
いくら考えても答えが出てこない。
もしくは、その答えを認めたくない、避けたい、という思いから、ゴールを見つけようとせず、都合のいい理想を追い求めている。というところだと思います。
つまり「自分で勝手に」悩んでいるのが大半かもしれません。
逆に「考えること」は、何かしらのゴールに向かって、解決策を見出そうとしている行為を指します。
自分の出来ることなんてたかが知れてます。そんな中で自分なりに一番ベストだと思えることを考え、決断するしかありません。
考えて考えて、そして決断をしてしまえば、それが今の自分にとって「最良の選択」であるはずなのです。
ですので、結局「悩み」というのは、苦しみが伴うだけで、ことが良い方向に行くということはあまりない、ということです。苦しみ損です。
今、目の前のことを一生懸命に頑張るのが一番いい
さて、ここまで書いておいて何ですが、決して「悩むこと」が一概に悪いと言うわけではありません。
悩むことによって、今の自分の心境や課題もわかるし、人の痛みもわかるというものです。
ただ、入り口は「悩む」から始まったとします。
だとしても、「悩む」⇒「考える」⇒「実行」にシフトすべきということです。
「今目の前のことを一生懸命に頑張る」
これは、結局、それしかないのですよね。
今抱えている「悩み」や「課題」に対して、自分なりのベストな選択を決断し、後は目の前のことを淡々とこなしていく。
その決断が失敗だと思えば、また考えて決断し実行する。その繰り返しであり、その結果が今でもあります。
結局、自分に「今あるもの」というのは、過去における「目の前のことを頑張った成果」でしかないということです。
悩んで苦しむだけでは得るものはあまりなかったはずです。
単なる時間の浪費でしかなかったかもしれません。
しかし、悩んで苦しんでも、少しでも目の前のことに向き合って努力したのであれば、それなりに得ているものはたくさんあるはずです。
その得たものというは、もしかしたら自分の欲するものとは違うかもしれませんが、気付かないうちに積み上げられているものです。
そもそも、人生とは有限であります。
目の前のことを積み上げた結果が「今」であるとしたら、そして悩みに対して「悩んでいるだけ」だとしたら、そんな時間はもったいないでしょうか?
そんなことを思った東京一日目の出張。
さて、あしたもがんばりますか。
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