今日は、鬼滅の刃「全集中展」無限列車編・遊郭編 に行ってきました。
鬼滅の刃に出てくる炎柱・煉獄杏寿郎の『俺は俺の責務を全うする!!』という言葉が大好きです。
この言葉と同じぐらい好きな故事成語のひとつがありまして…
「人間万事塞翁が馬」(じんかんばんじさいおうがうま)
こういう言葉があります。
有名な故事成語でもあるので、知っている人も多いかと思います。
人の悩みとは、常に今現在の「結果」「状態」だけを見てしまうことが往々にしてあります。
- 「成功」に「失敗」
- 「勝ち組」に「負け組」
- 「裕福」に「貧乏」
しかし、人の人生なんてものは、いつどんな変化をしていくわかりません。
たとえ、今が良い状態であっても思わぬ事態によって、辛い状態になることもあれば、苦しい状態でも頑張ってきたことにより、思わぬ幸福が舞い降りてくることもあります。
「人間万事塞翁が馬」とは
「人間万事塞翁が馬」(じんかんばんじさいおうがうま)という故事成語があります。
単に「塞翁が馬」ともいうそうです。
「人間」とありますが、「にんげんばんじ」 ではなく「じんかんばんじ」だそうです。
どちらでもいいと思いますが…
さて「人間万事塞翁が馬」とはどのような話なのでしょうか?
それは、こんなお話しです。
昔に、中国の北辺のとりでに住む占いを得意とする老人(翁(おぎな)この人が塞翁)が居ました。
この塞翁が飼っていた馬が逃げてしまい、人々が気の毒がって慰めに行くと「悲しむことはない。これはきっと良いことが起こるだろう」と言いました。
すると数カ月後に、その逃げた馬が駿馬を連れて戻ってきました。
それを知った人々たちは、喜び祝うと、今度は「喜ぶことはない。これはきっと悪いことが起こるだろう」と言いました。
馬が好きな塞翁の息子が駿馬に乗っていたら、落馬して足を骨折してしまったのです。
人々は気の毒に思い見舞うと、今度は「悲しむことはない。これはきっと良いことが起こるだろう」と言いました。
一年後、戦争によりほとんどの若者は徴兵されて、多くの若者が命を落としました。
しかし、塞翁の息子は落馬による骨折で徴兵されず、戦争により命を落とさずに済んだのです。
…と、こんなお話です。
この塞翁(老人)は、決して世の出来事に対してひねくれているわけではありません。
塞翁は、占い師であり先を見通す力があるという設定なのですが、結局は「人生なんて何が幸不幸につながるかはわからない」ということです。
人生は、たえず変化していく
このような「人間万事塞翁が馬」に書いてあることを聞くと、なるほど確かに人生なんてそんなもんだよなぁ…などと思います。
やはり、目の前の出来事やものごとの結果や状態に大して、つい目を奪われてしまうのが人の常でもあります。
前にも書いた故事成語の例え話ほど大げさなものではなくとも、一見不幸と思えることや成功したと思えることも、実は真逆につながるなんてことは、些細な日常でもよくあることです。
病気やケガなどにより、仕事や家庭の私生活がままならなくなり、自分の人生の不幸を恨んだり妬んだりしても、その時の思わぬ休暇期間が後にひょんな縁を生んで、自分でも思わぬ人生の好転を生むかもしれません。
過去にイジメや仲間外れにあったことにより、他がうらやむような人間関係や楽しい人生を送れなかったと嘆いていても、そのおかげで無駄な人間関係に振り回されることなく、無用な他人との関係に頭を悩ませたり、他人の目を気にしない生き方をしてきたおかげで、まじめで信頼がおける人との人間関係だけが築けるかもしれません。
希望するレベルの高い学校への進学が叶わなかったとしても、もしそこに進学していれば授業についていけずに、不登校になったり、退学したりニートになっていたかもしれないのです。
しかし、丁度いいレベルの学校に行ったおかげで、無理なく楽しい学生生活を送れて、その後の就職や人間関係など、良い方向に進むかもしれません。
仕事で成功し、成果をどんどんあげていく同僚を見ると、羨ましく思ったり自分の不甲斐なさに悲しくなったり。
しかし、同僚はそのおかげで、仕事が忙しくなり社蓄に成り果て、遊ぶ暇もなく、うつ病になったり、家庭をおろそかにして夫婦喧嘩ばかりしているかもしれません。
逆に、自分は大して仕事の才能はないが、淡々とそして黙々と努力してきたおかげで、目を見張る出世はないかもしれないが、仕事と家庭とプライベートをバランスよく大切に出来ているかもしれません。
もしくは、地道な努力が開花して、立派な上司やリーダーに成長しているかもしれないのです。
ブラック企業に就職してしまったがために日々辛く苦労して過ごしているが、ひょんな縁から転職してみると、ブラック企業での辛い時期に培った努力と頑張りが仕事力を向上させ、一気に高収入を得る大成功を収めたり、順調に出世するかもしれません。
しかし、そのおかげで金遣いが荒くなり、ギャンブルやお酒、女遊びが派手になり、全てを失うはめになるかもしれないのです。
芸能人やプロスポーツ選手など、富と名声を手に入れた有名人はみんなに羨ましがられ最高の人生を送っているかもしれません。
しかし、有名人であるがために、たった一つの失敗が仇となり、全てを失ってしまい、また一般の社会にも入れない不自由過ぎる人生を送るかもしれないじゃないですか?
しかし、そのおかげで有名人とは程遠い質素で温かみのある嫁さん(旦那さん)と出会い、明るく楽しい家庭を築けるかもしれません。
しかし、そのおかげで、今までにない時間を過ごし、新たなチャレンジで再び大成功を治めるかもしれません。
などなど。
要は、人生何が起こるかわからない。
というのもあるけれど、はたから見て幸福そうな人が実はそうではなかったり、可哀想な人生を送っていると思っていた人が実は最高の人生を送っていたり、そんな見方も出来ます。
そういえば、ホリエモンこと堀江貴文氏の記事を先日たまたま目にしました
かなり前の近畿大学の卒業式で、卒業生に送ったメッセージです。
「未来なんてわからない。目先のことに熱中しろ」
堀江貴文さんが卒業生に贈ったメッセージ
(一部引用)
「今から10年前に、みんながスマートフォンもって、歩きスマホとかしながら、ツイッターとかLINEとかやっている未来、想像出来ましたか」と語りかけ、未来を見通す難しさを力説、未来を考えることには意味がないと自説を展開しました。
(中略)
波瀾万丈とも言える人生を歩んできた堀江さんが、「楽しく生きている」という理由は、「今を生きている」からだという。
「これから生きていく上で大事なことは、僕は、目先のことに集中することだと思う。長期計画なんか関係ないですよ。まずそれをやってください。それをやらない限り、はじまらない。なにもはじまらない」と熱く語りかけた。
最後に堀江さんは『贈る言葉』として、こう言った。
「未来を恐れず。過去に執着せず。今を生きろ。」
卒業生に贈ったメッセージ
ボク自身、ホリエモンさんのファンでもあるので、 こういった失敗を恐れず「今」を精一杯努力する(生きる)姿勢は、どの角度からでも共感を持てます。
ホリエモン氏のそのパワーは、やはり並ではないのですよね。
人生は結局「人間万事塞翁が馬」
結局「人生は何が起きるかわからない」です。
心配しようが、悩もうが、幸不幸はどんな形でやってくるのか、未来なんて誰にもわかりません。
そして、良いことも悪いことも、決して長く続くわけでもなく、絶えず変化していくということも意味します。
このような考え方は、他人をうらやましがったりする必要がないことも示しています。
- 「あの人は異性にモテて羨ましいな~」
- 「あの人はお金持ちで羨ましいな~」
- 「あの人は仕事が出来てみんなに人気があって羨ましいな~」
- 「あの人は素敵な家族に囲まれて羨ましいな~」
- 「自分の家はお金持ちじゃなくてついてないな~」
- 「自分だけこんな病気になってついてないな~」
- 「なんで自分ばかり…」
- 「なんであの人ばかり…」
このように思ってしまうことは人として良くあることですし、羨ましがってもしょうがないとわかっていても、それでも、ついつい思ってしまうことです。
しかし、このような羨ましいと思う人であっても、そこはやはり「人間万事塞翁が馬」なのです。
だからこそ、目先の結果や今現在の幸不幸に囚われず、この世は常に変化していくことを意識していく必要があります。
今、現在を精一杯生きようということではないでしょうか?
責務を全うしよう。
さて、明日もがんばりますか。
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