今日は、昨日に続いて名古屋です。

で、このようなタイトルを付けておいて何ですが、ボクは「自分に自信がない人」を「ダメな人」や「可哀想な人」とは思っていません。
ただ「勿体ない人」ではあると思っています。
そうはいっても、ボクも自分に自信を持てなかった時期があったから、余計に思います。
持てなかったからこそ、日々反省したり、自分なりの努力をしたり、謙虚で居ようと心掛けたりなどしているわけではあります。
ただ、自信の無さからくる「劣等感」や「周りとの比較」などから、勝手に悩んだり落ち込んだりするのは、人生の無駄でしかありません。
無駄なことで悩んだり悲しんだりすることほど、やはり無駄なことはありません。
そうは言ってもなんですけどね…
今回、名古屋のある企業様からの人事配置のご相談を受けている中で感じたことをまとめて見たいと思います。
「自分に自信がない」「自信が持てない」人の特徴

自分に自信がない、自信が持てない人というのは、良くも悪くも、必ず「他人」がそこに居ます。
常に「周りの人」と「自分」とを比較することによって、自信を無くなしたり、自信を得たりして、一喜一憂します。
つまりその名の通り「自身(自分)が無い」のです。
特徴としてざっと思い浮かぶ感じはこのようなことです。
- 些細なことでも一々他人と比較する
- 周りの目、周りの反応が常に気になる
- 周りの反応に一喜一憂してしまう
- 被害妄想が強い
- すぐに他人の悪口を言ってしまう
- 自分を正当化するために他人を否定する
- 自分の価値観より他人の価値観を優先してしまう
- 人の役にたっていると感じない
- 誰かに必要とされていないと感じる
- 今までで努力してきたことがない
- 今までの自分の努力に気付いていない
- 常に逃げ道を探している
- 些細なことでも逃げグセが付いている
- 自虐的である
私も心当たりがたくさんありますが、自分に自信が持てない人というのは、簡単に言うと、
「自分自身と向き合わない(自分から逃げている)」
「他人とばかり勝手に向き合う」
といった感じでしょうか。
自分で自身と向き合わずに他人と勝手に比較して落ち込んでいるのですから、なんとも物好きな話です。
それでいて、プライドが多少あったりするものだから、自己嫌悪に陥り「自分を傷つける」か「他人を攻撃する」、もしくは「引き籠って逃げ出す」といった方向に行ってしまいます。
そして、他人を否定することでしか自分を肯定(正当化)出来ない人も世の中たくさんいます。これも自信の無さの傾向です。
「自信を持て」とは言うけれど

よく「自分に自信を持て」とは言われます。
松岡修造であれば、耳にタコが出来るほど言われそうです。
そして逆に凹みそうです。
「自信を持て」と言われても「根拠のない自信」であれば、それはただの妄想です。
仕事で成果が出ていないにもかかわらず「オレは本当は出来るはずだ!」とか、「こんな底辺の人生は本当のオレではない!」など。
ポジティブ思考はとても大切だけれど、そこに努力が伴わなければただの妄想になってしまいます。
それはただの現実逃避です。
そして結局物事が上手くいかなければ、それを他人のせいにしてしまうのがオチです。
自分に自信を持つから上手く行くのではなく、目の前の努力の積み重ねによって自信を付けるから物事が上手く行くのだと思います。
そこに努力が無ければただの勘違いであり、周りの支えにすら目が向かない、ただの自己中思考になってしまいます。
極論を言えば「自信」なんてものはいらないのかもしれません。
自信を無くして自虐的になるのは良いことではありませんが、無駄な自信により謙虚さを失い、自惚れや傲慢さが出るのであれば、それは「無用の長物」となりえます。
「自分に自信がない」「自信が持てない」人の対処法
対処法とはいっても、付け焼刃的なものは無いような気がします。
簡単に言うと、上で書いた「自信がない人の特徴」の克服でしかありません。
- 目の前の仕事や勉強に没頭する
- 周りの反応に一喜一憂しない
- 他人の悪口や否定を極力しない
- 自分をすぐに正当化しようとしない
- 他人の価値観より自分の価値観を優先する
- 自信がないなら努力する
- 今までの自分の努力を思い出す
- 反省はしても自分を責めることは極力しない
- 人に喜ばれることをする
前にも書きましたが、結局は努力した結果が自信につながるのであり、妄想による自信はすぐに崩れ落ちます。
そして「自分に自信を持つ」ということは、「自分の価値観を大切にする」ということでもあるかと思います。
自分の価値観は時と場合によってはころころ変化するかもしれません。
しかし、それは価値観の成長でもあり、軌道修正であれば問題ないはずです。
それよりも他人の価値観に振り回されることは避けたいものです。
それが自分で納得がいくものであればかまいませんが。
そして「人の役に立つこと」、「人に喜ばれること」をするというのも効果的だと考えます。
努力が反映されない、結果がでない、物事が上手く行かない、といったことは「自分の価値」が見いだせないと感じることでもあります。
それにより「人に喜ばれない」「人の役にたっていると感じない」といったことは、自虐思考に陥り自信を失います。
であるとすれば、進んで「人の役に立つこと」、「人に喜ばれること」をすることもありではないでしょうか。
それで相手が喜んでくれれば、それは「自分の自信」にもつながります。
ただし、相手への反応に良い結果だけを求めてしまうと、結局は他人に振り回されて一喜一憂しているだけであり、それでは意味がありません。
結局は己との戦いです。
いかがでしたでしょうか?
本当に自分に自信があるという人は、「周りは一切関係せず」ただ「自分の価値観を信じる」のみであり、表面では自信の色を見せない物静かな人なんでしょうね。
逆に、はたから見ても常に自分に自信を持ってそうな人というのは、得てして傲慢チキな自惚れ屋が多いのかもしれません。
そもそも「自信が無い」とか「自信を持つ」といったこと思考自体が、無意味なのではないでしょうか?
考える時間があるということは、そもそも余裕があるんじゃない?って思ったのでした。
今日は、6時間の会議でした。
無事に責務を全うしたので、一杯呑んで帰ります。

さて、明日もがんばりますか。
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