昼ごはんを食べなながら、ふと考えたこと。

ボクは、大人になって、ある時期に自分の考えや、信念がよくわからなくなることがありました。
そして、わけもなく、イライラするときもありました。
いや、基本は、自分なりの信念は当然持っているつもりではいたわけです。
持っているけど、たまに、ふらふら…としている自分に気づくのです。
今、この記事を書きながらも、もしかしたら同じなのかもしれません。

例えばですが、ボク自身を取り巻く人々であったり、社会であったり、世の中の風潮であったり、そういったものに振り回されている…というか流されているのだと思います。
どういうことかと簡単に言うと「周りの目を気にしている」状況に、もしかしたら陥っていたことなのかもしれません。
周りの目を気にして、本来やりたくないこともやってしまっている時ほど、ストレスが溜まることはないですよね。
世の中には「やりたくない」けど「やらざるを得ない」という場合があるかと思いますが、それは大きく分けて2通りあると思っています。
- 自身の立場上の「責任」としてやらざるを得ない場合
- 本来やる必要性はないのに「周りの目を気にして」やらざるを得ないと思っている場合
「責任」としてやらざるを得ない場合
仕事においても、家庭においても、「やりたくない」ことだけど「やらざるを得ない」ことって、あったりするわけです。
この場合は「責任」が発生しているか、どうかでしょうか?
仕事を全うする責任としてやらざるを得ない場合、自分自身の立場上の責任として、イヤなことでもやらざるを得ない場合、自分が生きるための責任として、大人の責任としてやらざるを得ない場合、などですかね。
これらは言うまでもなく、自身に対する責任の範疇であれば、やりたくないなど思っていてもやらざるを得ないのです。
きっと、当然のことなのでしょう。
簡単にいえば「責任」の範疇はあいまいな部分もあるし、個人差もあるかと思います。
ところが、仕事の対価として、給料を受け取っているのであれば、その仕事を遂行しなければなりません。
契約や、約束的なことを守るのも、社会人として責任が発生しています。
生きるための責任だったり、大人の責任として、子どもたちに、代表者として、スタッフをしっかり教育するのもそうです。
「周りの目を気にして」やらざるを得ないと思っている場合
先の「責任」についてはしょうがないことでもあります。
しっかりやらないといけない場面も多々あることでしょう。
しかし、そうではなく、本来必要ないのにやってしまうのが、「周りの目を気にして」やらざるを得ないと思っている場合です。
つまり、自分を押し殺して、やりたくもないことを周りの目を気にしてやっているということです。
- 仲間外れがイヤだからと楽しくないことも周りに合わせてしまう
- 怒られるのがイヤだから何でも言うことを聞いてしまう
- 周りの子どもがやっているからという理由でやらせる
こういったことは、例え実行していなくても、気にする時点でストレスが溜まっていってしまいます。
それは「やりたくない」だけど「やらないといけない」のでは?と思ってしまっているからです。
ストレスとは、本来自分が求めていないものを求められている、または感じるときに発生するものでもあります。
ちなみに、これらは「協調性」とは全く異なるものです
この「協調性」とは、何かをお互い協力し合って成し遂げましょうというものだと思います。
自分の感情や、損得などは、度外視して、同じ目的に向かって協力し合うことです。
この場合も、やりたくないことでもやらざるを得ないこともあるし、自分が妥協せざるを得ないこともあるかもしれません。
本当にやりたくなければやらないのも当然あります。
協調性とは、自分を犠牲にすることともちょっと違います。
つまり、周りの目を気にして、自分を押し殺したり、ふらふらしてしまったり。
ボクは、これほどつまらない人生はないと思っています。
自分が何かをやりたければやればいいですが、だけど「周りがやってるから」と理由は、本来要らないのです。
たくさんの仲間と、仲良くしたいならすればいいです。
ですが「仲間外れがイヤだから」と理由は、これまた要らないのです。
さて、偉そうなことをさんざん書きましたが、冒頭にあるとおり、ボクもこの「周りの目」を気にしているときが多々あったのです。
大抵イライラとストレスが溜まっているときは、この「周りの目」を気にしているときです。
そんな自分に更にイライラしたりするのだから困ったものです… (笑)
軸がある人は「自分を持っている人」「周りに振り回されない人」

基本的に、軸がある人というのは、「自分を持っている人」であり、決して「周りに振り回されない人」ではないでしょうか?
思い返すとそういった人というのは、周りに結構居たわけです。
今でも、まったく変わらず、自分自身を磨くことだけに集中しています。
そういったものは、年齢などは関係ないのかもしれません。
だから、憧れる、尊敬する人というのは、著名人・有名人とかは関係ないし、何かを成し遂げた成功者という人も関係ありません。
社会的地位の高い人というのも関係ないし、人に好かれる人気があるというのも関係ありません。
むしろ、そんなものは持ち合わせていなくて、ひっそりと自分自身を大切にして信念を持っている人なのかもしれません。
単純に自分を持っている人か、自分ではなく周りの目を気にしている人か、ただそれだけなのでしょう。
もし自分がイライラしていたり、ストレスが溜まっていると感じているときは、「自分を捨てていないか?」「周りの目を気にしていないか?」を自問自答してみたらいいかと思います。
もしそうだとしたら、それは周りの問題ではなく、自分自身の問題ということです。
そこでイライラの原因を他者に向けたとしても、きっと何の解決にもなりませんし、仮に他者が行動を変えてくれたとしても、一時は良くなっても、また同じことを繰り返すだけなのです。
ここまでまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?
偉そうなことをツラツラと書いていますが、これは、自分に向けた備忘録のようなものでもあります。
たまにありますよね?
わけも理由もよくわからず、何となくイライラするとき。
そういう時は、大抵自分のやりたいこと、思っていることを押し込めているときだと思うのです。
じゃあ何で押し込めてイライラするの?と理由を考えると、
- 何となく周りに流されている
- 周りの目を気にしている
こういったことが、チラチラと浮かんでしまいます。
だから「イライラする=自分がない」のではと、思ってしまうのです。
そんなに簡単に自分をコントロール出来れば苦労はしないのです。
何かを成し遂げなくてもいいから、無駄でつまらない人生は送りたくないなぁ…と思ったのでした。
うん、なんか考えすぎたかな。
前にも、頭を空っぽにしようなんて記事書いたのになぁ…w
2時間ぐらいいたかな…
このお店になんだかんだで。

さて、注文したラーメンがきたので、今日はこの辺で。
さて、明日もがんばりますか。
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