さて、今日から大阪です。
帰ってそうそう、ほっこりする瞬間に出会いました。
めちゃくちゃじっくり見てくるやんww
さて、昨日の「早く止めを刺してほしいというが、誰かが止めを刺してくれることなど願わず、自分の人生に主体性を持つしかない」がすごい反応になって、驚いていました。
特に早い時間にアップしたわけでもないのに、すごい反応で驚いています。
退屈な人生に飽き飽きしている人もいることと思います。
退屈な人生なんて、生きていても楽しくないですよね。
以前もこのような記事を書きましたけど、まさにここがド真ん中なんじゃないでしょうか?
退屈は人生に悪影響を及ぼすと思っています
いや、退屈ほど、生きている上で、これほど世の中で身体に悪いものは無いと思っています。
その中で、いくつか思うこと、感じることを書き出してみたいと思います。
早く終わってほしい
退屈な講義、退屈な映画、退屈な会議等々、退屈なことはたくさんあります。
退屈なことに共通するのは、早く終わってほしいということです。
もし、人生が退屈だなと感じたら、人生が早く終わってほしいと思うようになります。
下手をすると、退屈な人生を早く終わらせるために、自ら命を絶つということにもつながりかねないのです。
退屈は苦痛にもなる
退屈が早く終わってほしいのはなぜでしょうか?
人は退屈に苦痛を感じるからです。
人生を退屈だと感じているということは、人生を苦痛に感じているということなのです。
時間を無駄にする感覚に襲われる
退屈するとは、何もすることがなく、時間・暇をもてあますことです。
人生を退屈に感じるということは、人生においてすべきことが何もなく、人生における時間をもてあましているということです。
当然、人生に充実感などなく、人生における時間を無駄に消費している、つまり、無駄に生きている感覚に襲われることになります。
刺激がない
退屈とは、飽きて嫌気がさすことでもあります。
人生が退屈な人は、毎日同じことの繰り返しで、刺激のない人生に飽き飽きして、人生が嫌になっていきます。
退屈な人生には刺激、スパイスが必要だと思う
退屈な人生とは、毎日同じことの繰り返しで、刺激がなく、人生における時間をもてあまして、人生を無駄に過ごしており、それに苦痛を感じて、人生がはやく終わってほしいと感じている状態です。
退屈な人生から脱却するためには、人生に刺激を与えることが必要となります。
刺激を与えれば、人生における時間をもてあますこともなくなり、人生を楽しく感じることも、楽しい人生だから、長生きしたいと思うこともできるようになるでしょう。
楽しい事、熱中できることを見つけた方が人生が豊かになる
人生に刺激に与えるには、楽しいと思えることや、熱中できるものを見つけるのが手っ取り早い方法です。
そんなものが見つかるのなら、とっくに見つけている、見つからないから退屈な人生なんだという人もいることでしょう。
楽しいことや、熱中できるものを持っている人を見ると羨ましいと感じることと思います。
では、彼らは、本当に楽しいことや、熱中できるものを持っているのでしょうか?
答えはNoです。
彼らは、楽しいことや、熱中できるものなど持っていません。
彼らは、それが楽しいこと、熱中できるものと思い込んでいるに過ぎないのです。
それが楽しいこと、熱中できることと思い込まないと、他にすることもなく、時間をもてあまし、退屈な人生になってしまうから、そう思い込まないと、やっていられないのです。
楽しいことをしている、何かに熱中していると思い込んで、充実した人生を送っていると自分を欺いているのです。
だから、退屈な人生を送っている人は、何でもいいので、それを楽しいと思い込んで、熱中しているかのように、それに打ち込んでみてください。
それが、人生の刺激になります。
実際に、楽しいとか熱中できるとかは関係ありません。
楽しい、熱中できると思い込むことが大切なのではないでしょうか?
ボクを見ていて、退屈になったお嬢様は、別なところを見つけております。
ちなみに、その先には誰もいません。
さて、明日もがんばりますか。
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