今日は、朝からほのぼのしておりました。
生まれてこの方、何かに夢中になったことなんてないという人もいると思います。
ボクも、実際にはそのひとりだったわけです。
何か夢中になれるものがある人って、羨ましいなと思っていました。
ですが、40代になってから、いろいろな人との出会いによって興味の幅や、捉える視点など、様々なことが広がりはじめました。
夢中になれることがある人は、人生が楽しそうだと思った
夢中になれることがある人は、人生が楽しそうだなと思っていました。
実際に、今の自分からかこの自分にアドバイスを送るとするのであれば、夢中になれることがあると未来は明るいよ…って、自信をもって声をかけてあげられますかね。
人生でつらい現実があっても、その夢中になれることのために頑張ったり、つらい現実を乗り越えた先に、夢中になって楽しめるのですから、人生に張りがでてくるというのか、雑念がふっとびます。
夢中になれるものがないと、つらい現実も「何のためにこんなことをしてるのか」と感じてしまったり、他人の行動に嫉妬したりなんかして、つらいばかりの人生という思い込みをしてしまうのです。
つらいだけの毎日を何となく消化しているだけなのですから、人生に張りなんてあるわけがありません。
人生を充実させるには、趣味でもなんでもいいので、何か夢中になれるものがあったほうが良いと思います。
オタク的な思考を持っている人が羨ましい
皮肉などではなく、オタク的な思考を持っている人が羨ましいなと、心底思います。
彼らは、労を惜しまず、時間やお金を費やせるほど夢中になれるものがあるということです。
傍から見ると、何がそんなに夢中にさせるのかとか、それにお金や時間を費やすことが理解できないなんてこともありますが、好きなものは好きで、周囲のそんな声なんてどうでもいいくらい夢中になっているのです。
そんな彼らを見ていると、夢中になっていることの何が夢中になれるのかは理解できなくても、楽しそうに夢中になっていること自体が、なんだか羨ましいなと感じ、人生を楽しんでいるなと感じさせるのです。
そうやって、人生を楽しんでいる分、何も夢中になれるものがない人に比べたら、彼らの人生は充実しているのだなと感じます。
夢中になれるものを見つけるには、しがらみを捨てる
夢中になれるものを見つけるには、様々なしがらみを捨てるしかないと思います。
オタクを参考にすると、彼らは奇異の目を向けられることなんて無視して、オタクをやっています。
奇異の目を無視するとは、言い換えれば、世間一般の価値観を無視するということだと思います。
そんなものにお金や時間を費やすなんて常識で考えれば馬鹿げている、そんなものに夢中になるなんて普通の人はキモイと思うという世間の目を飛び越えてオタクをやっているのです。
だから、夢中になれるものを見つけるには、世間の目や価値観などといったしがらみを捨てる必要があるのだと思います。
世間の目や価値観などのしがらみを捨てられるほど夢中になれるものがないとか、しがらみを捨てられるほど夢中になれるものを先に見つけたのだという意見もあると思います。
しかし、最初から、しがらみを捨てられるほど夢中になれるものが見つかったのではなく、夢中になっていくうちに、しがらみを捨てていったのだと思います。
だから、世間の価値観やしがらみで、最初から挑戦しないのではなく、まずは自分が興味・関心を惹かれるものに挑戦してみたほうが良いと思います。
そうするうちに、のめり込んでいって、世間の価値観やしがらみを無視できるくらい夢中になれるかもしれません。
さて、明日もがんばりますか。
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