人は、社会の中で、人と認められて生きるには、様々なものに縛られなければ生きていけない

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さて、今日は朔日参りで、近江八幡へやってきました。

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人は、ありとあらゆるものに縛られて生きています。

自由に生きたいと思う人もいることでしょう。

しかし、生きるという選択をした時点で自由はなくなるのです。

生きるためには、ありとあらゆるものに縛られる

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人は、生きるためにはありとあらゆるものに縛られます。

生きるためには、お金に縛られます。

お金を稼ぐためには、基本的には働かなければなりません。

また、社会の中で生きていくには、法律や一般常識といったものにも縛られます。

法律を侵せば、犯罪者として罰則を受け、一般常識に沿わない言動をすれば、非常識な人間として、社会からは排除されます。

他にも色々あるでしょうし、周知のことではあるのですが、人は生きるためには、様々なものに縛られているのです。

もしかしたら、自給自足でお金を必要とせず、法律や常識に捉われないために、山奥で、社会から隔絶して生きている人もいるかもしれません。

そんな人は自由に生きていると言えるでしょうか?

自給自足のために、田畑を耕し、動植物を採取しなければなりません。

また、社会との接触もできないのですから、自由とは言えないでしょう。

そもそも、社会との接触なしで、他者からもその存在を認識されず、それを生きていると言えるのか甚だ疑問です。

人は、ささやかな自由を求めている

人は、社会の中で、人と認められて生きるには、様々なものに縛られなければ生きていけません。

現代社会で人として生きるには、これは仕方のない事です。

社会がおかしいなどと叫んでも、何ら変わることはありません。

もちろん、人として生きることを辞めるのであれば、この限りではないと思いますが…

そんな中で生きながらも、人は自由を求めます。

ささやかな自由です。

ほんのわずかでも、自分の思い通りになること。

これを自由といって、この自由を人は求めているのだと思います。

不自由に生きる中での自由です。

そのささやかな自由を得たとしても、不自由であることには何ら変わりはありません。

それでも、人はささやかな自由を求めるのです。

余程、不自由で息苦しい社会を生きているのでしょうね。

ふと、そんなことを思ったというだけの戯言でした。

そんなこんなで、これから会食です。

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さて、明日もがんばりますか。

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