今日、ちょっとびっくりするようなことがあったので、備忘録として書いておきます。
世の中には底辺と言われている仕事があるみたいです。
そんなことを初めて知ったので驚いています。
底辺の仕事の定義はよくわからない部分もあるのだが、薄給、やりたがる人が少ない、勤務時間や休日が不規則などといったものが、底辺の仕事と言われているようです。
底辺と言われる仕事には、社会的に必要な仕事が多い
底辺職と言われる仕事には、社会的に必要とされている仕事も少なくないのではないでしょうか?
例えば、介護や清掃といった仕事は、底辺職と言われるものの代表的なものであるが、いずれも社会的には必要な仕事だと思います。
介護職がなければ、生活を送ることすらままならない状況におかれる高齢者だっているででしょう。
清掃職についても、例えば不潔な商業施設を利用したがる人なんていないであろうから、商業施設の運営を支えている仕事と言ってもいい。別に商業施設に限らなくても、掃除をしなければ汚れは溜まるのだから、美しい環境で気持ちよく過ごすためには清掃職はなくてはならないのです。
そもそも、底辺職と言われる仕事で、薄給でやりたがる人が少ないのだから、その仕事自体がなくなってもおかしくないはずです。
それにも関わらず、その仕事が存在しているのは、社会的に必要な仕事だからではないでしょうか?
底辺と言われる仕事は、社会的には必要とされているものが多いのです。
底辺職と言われる仕事についている人間はクズか?
底辺職と言われる仕事に就いている人間は、社会不適合者とかクズ人間が多いなどという意見もあります。
一流の人間になるには、底辺職と言われる仕事に就いている人とは関わるなという輩もいるようです。
確かに、誰もがやりたがらない仕事に、やむを得ず就いている人も多いであろうから、中には変わった人間が多いのも事実でしょう。
しかし、これは、底辺職と言われる仕事に限ったことではないのではないでしょうか?
例えば、医師や弁護士などは、社会一般のイメージからすると、それらの仕事に就くのも難しく、高給取りで、一流とか、その仕事に就いてると「すごい」と言われるものかもしれません。
彼らが、人間的に優れているかと言われると、必ずしもそうではないのです。
ボクも、過去に医師や弁護士の職に就いている人に関わったこともあるが、彼らの中にも「ちょっと変だな」と感じる人間も少なくないのです。
別に職業によって、人間性が規定されるわけではないのだから、当然のことかもしれません。
底辺と言われる仕事に就いていようが、人間性に優れた人もいるであろうし、一流と言われるような仕事に就いていようと、残念な人間性の人もいます。
以前、スーツを着たサラリーマン風の4~5名の集団が、清掃作業をしている人を見て、「底辺乙」的なことを言って、笑っているのを見かけたことがあるのです。
どちらがクズ人間かは明白じゃないでしょうか?
底辺と言われる仕事に就いているからといってクズ人間ではないし、世間一般でいう普通とか良いと言われる仕事に就いているからといって、優れた人間というわけでもないのです。
底辺と言われる仕事でも、自虐的にならなくていい
底辺と言われる仕事に就いている人は、自虐的になっている人が多いように思うのです。
この自虐は、自己防衛のための自虐なんじゃいでしょうか?
「底辺職(笑)」と馬鹿にされる前に、自ら「底辺職だから」と自己卑下することで、他者から馬鹿にされ、攻撃されることから身を守っているのです。
底辺と言われる仕事なのだから、社会的に評価されることも少ないし、やむを得ず、その仕事に就いたのだから、自信やプライドが持てないというのも理解できるので、自虐的になってしまうのも無理はないのかもしれません。
しかし、自虐的になって、自分や底辺と言われている仕事の価値をさらに下げるようなことはしなくてもいいのではないでしょうか?
見ていて、あまり気分の良いものではないし、みっともないと感じます。
社会的に評価されず、嫌々ながらも、やりたがる人が少ない仕事をして、収入を得て、ちゃんと生きているのだから、十分立派だと思うんです。
底辺と言われる仕事で、社会的に評価されないのだから、プライドを持つのは難しいのかもしれないし、自分の仕事にプライドを持てなんて言う気はないが、頑張って生きているのだからわざわざ自分で自分を貶める必要もないのです。
伝わりましたでしょうか?
世の中には、底辺と言われる仕事に就きたくないとか、高尚な仕事に就きたいと思っている人もたくさんいることでしょう。
高尚な仕事がどういったものかは、よくわからないが、世間一般で評価が高い仕事、例えば上でも挙げた、医師や弁護士は、簡単にはなれる仕事ではないし、その仕事に就くために相当努力もされたと思うので、高い評価がされて然るべきだとは思うんです。
しかし、家庭環境に恵まれていた(家庭が裕福等)といったような、自分の力とは関係ない部分で恵まれており、それによりその仕事に就けたという人も少なくないのではないでしょうか?
一方で家庭環境に恵まれなかった等で、個人の能力はあったにも関わらず、大学に進学できなかった等の理由で、底辺と言われる仕事に就いている人だっています。
世間一般で評価が高い仕事に就けている人は、ある意味では運が良かっただけなのかもしれません。
そう考えると、就いている職業だけで、どうこう言うのは馬鹿らしいことだと思うのです。
職業差別がなくなり、どんな仕事であっても、頑張っている人は頑張った分の評価が得られる社会であってほしいものです。
さて、明日もがんばりますか。
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