今日は、朝からおでかけです。
どう考えても、何があっても、やはり人生は、選択の連続です。
生きていれば、大きなことから小さなことまで、毎日、様々な選択を迫られています。
選択する際には、誰もが、正しい選択をしたいと思うことでしょう。
しかし、正しい選択というものはありません。
選択の正誤は結果によって決まる
その選択が正しいか否かは、結果によって決まります。
全く同じ選択をしたとしても、結果が異なれば、その選択の正誤も異なります。
例えば、仕事を辞めるという選択をしたとします。
仕事を辞めた結果、次に自分が理想とする仕事に就けた場合は、その仕事を辞めるという選択は、正しい選択だったと思えることでしょう。
一方で、仕事を辞めた結果、次の仕事がなかなか決まらずに、結局、自分の希望と一致しない、前職よりも条件等も劣るような仕事にしか就けなかった場合、仕事を辞めるという選択は、誤っていたと思うことでしょう。
このように、選択を決定する時点では、その選択の正誤は誰にもわかりません。
選択の結果が、自分にとって良い結果が得られれば、正しい選択となりますし、悪い結果しか得られなければ、誤った選択となるのです。
正しい選択を求めるのは、案外と無意味かもしれない
上記のことから、選択の時点で、正しい選択を求めるということは無意味だと言えます。
選択の正誤は結果論でしかないからです。
もちろん、より良い結果が得られる可能性が高い選択をするとは思いますが、それが、必ずしも良い結果に繋がるとは限りません。
より良い結果が得られる可能性が高そうな選択をしたとしても、悪い結果になることもあり得ますし、結果が悪ければ、それは誤った選択にしかなりません。
どんな選択をしようと、結果が良ければ、正しい選択となり、結果が悪ければ、誤った選択となるのですから、結果が全てです。
だから、選択の時点で、正しい選択をするということは不可能ですし、正しい選択を求めても意味がないのです。
その選択を、正しいもとのするか否かは、結果によって異なるのですから、正しい選択(誤った選択)というのはありません。
結果が、その選択を正しい選択(誤った選択)にするだけのことなのです。
覚悟を持った選択と、結果を出すことに尽力する
正しい選択などないのですから、人からなんと言われようと、自分が望む選択をすれば良いのです。
必要なのは、その選択で良い結果を出すぞという覚悟です。
人から否定されようが、馬鹿にされようが、覚悟を持った選択であれば、良い結果を出すために尽力できると思います。
人から肯定されようが、褒められようが、覚悟のない選択は、いつまでも迷いを生じさせ、迷っている分、良い結果を出すことに集中できないものです。
重要なのは、どういった選択をするかではなく、その選択で良い結果を出すために覚悟を持って、どれだけ尽力できるかということです。
いくら覚悟を持って、良い結果を出すために尽力しようと、良い結果が出るとは限りません。
しかし、いつまでも迷いを抱え、良い結果を出すために尽力できなければ、良い結果を出せる可能性すらありません。
自分が覚悟を持って、良い結果を出すことに尽力できる選択をすることに尽きるのではないでしょうか?
さて、明日もがんばりますか。
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