さて、誕生日がまもなくとなりました。
ふと自分の人生を振り返ってみると、いろいろドラマがありすぎてヤバいなって思うわけです。
なんだ、これ?っていうぐらい波乱万丈です(笑)
めちゃくちゃいじめとか体験してたみたいなんですよね。
当時、常識というか、その考えがなかったので、いじめだと思っていなかったというのが、当時のボクでした。
子どものいじめについては、ここでも何度か言及しました。
ボクは、子どもの頃、大人にはいじめは存在しないものだと思っていました。
なぜなら、大人から「いじめはダメ」と教えられてきたからです。
それにも関わらず、大人の世界でも、職場を中心に、人が集まる場ではいじめが確実に存在します。
いい大人が、何ともみっともない話だと思ってしまいます。
いじめられる大人の特徴
①立場が弱い
基本的にいじめる人より立場が強い人が、いじめられることはありません。
いじめられる対象より、立場が弱い人が、いじめに加担している場合は、いじめ始めた人に便乗しているだけのことです。
パワハラに代表されるように、上司から部下へのいじめというものが、一般的でしたが、最近では、ハラスメントという言葉が一般に広まった結果、上司側もパワハラと言われないよう気を付ける風潮が出てきましたので、以前ほど、目につくことはなくなったと思います。
では、ここで言う立場が弱いとはどういうことでしょうか?
それは、役職に関係なく、社員の間で存在している序列での立場が弱い人ということになります。
スクールカーストと同様のもので、オフィスカーストなどと呼ばれているようです。
これは、男女に関わらず存在します。
そして、オフィスカーストの下層のものがいじめの対象となります。
②おとなしい、又は、悪目立ちしている
おとなしい人は、反撃してくる可能性が低いので、いじめの対象となりやすいです。
一方で、悪目立ちする人もいじめの対象となりやすいです。
具体的には、極度に空気が読めない人、正論であっても、辛辣な言葉を発する人、感情的に言動をとりやすい人です。
こういった人は、いじめる側からすると、いじめる材料を得やすいですし、いじめの賛同者も得やすいのでいじめの対象になりがちです。
③人間関係が苦手な人
オフィスカーストは、仕事の出来・不出来で決定されると思いがちですが、これは誤りです。
これが、以前、「世の中で言われている仕事ができないの基準がどのうように決まっているのかがわからない」について書いた所以でもあります。
オフィスカーストは、仕事の出来・不出来に関わらず、関係性構築力に依存し決定されます。
簡単に言えば、人間関係を上手くできる人が、カースト上位に、人間関係が苦手な人がカースト下位とされるのです。
人間関係が上手くできるのも仕事の能力の一つなどと言いますが、人間関係が上手くできるだけで、仕事は大してできない、又は、仕事を大してしない人というのは、ざらに存在しています。
逆に、仕事はそつなくできているのに、人間関係があまりうまくないというだけで、評価が低い人も多く存在します。
このように、オフィスカーストは仕事の出来・不出来ではなく、関係性構築力に依存して決定されますので、仕事がそこそこできる人でも、人間関係が苦手な人はいじめの対象となります。
大人がいじめる理由は、いったいなんだろうか?
①ストレス発散
いじめで何がストレス発散になるのか私には理解できないのですが、ストレス発散目的でのいじめが一定数存在しているように思います。
いじめる人が、虫の居所が悪そうな時に、八つ当たり的に、悪口を言ったり、無視をしたりといった言動をとっていたりすることがあります。
②優位性の確保
いじめることで、いじめる側が、職場なりで上位者である、優位であると誇示するために、いじめが行われます。
③排除
性に合わない、嫌いな人を排除する場合や、自分より優位な立場になりそうな人を嫉妬心から排除するなどがあります。
気に入らないから、仕事を辞めさせるためにいじめるといったような場合です。
また、排除には、いわゆる追い出し部屋のような、会社の都合で辞めさせるためにいじめるという場合も含まれす。
大人のいじめは対処がより難しい
①いじめの定義が曖昧
子どものいじめも同じかもしれませんが、何をもっていじめとするのかが曖昧です。
基本的には、いじめる側の意図的な行為によって、いじめらる側が苦痛を感じていれば、いじめは成立すると個人的には考えていますが、これでは、いじめられる側が、苦痛を感じていても、いじめる側が意図的ではなかったと言えば、いじめは成立しません。
また、いじめる側が本当に意図的ではなかったことでも、いじめる側が、一方的に意図的で苦痛を感じたという主張をする可能性もあり得ます。
いじめの定義が曖昧である以上、いじめが存在するか否かの認定も難しく、いじめが存在すると認められなければ対処のしようもないのです。
②助けを求めづらい
実際にいじめがあったとしても、大人の場合は子ども以上に助けを求めづら部分があります。
大人にもなって、いじめられるなんてみっともないとか、例えば意図的な悪口や無視をされたということを、誰かに主張し助けを求めるということは、”大人のくせにそんなことで”と言われそうで、しづらいのではないかと思います。
「気のせい」や「考えすぎ」という言葉で、片付けられれば、それ以上主張して、「子どもみたいなことを言うな」と言われかねないです。
また、大人の場合、相談や助けを求める場が限られます。
例えば、職場で上司に相談するということが、容易にできるかと言われると、できないと思います。
外部の相談機関に頼ることもできますが、外部機関に頼ったところで、何かをしてくれるということはなく、職場の相談窓口を利用しなさいなどと言われる程度で、実効性は期待できないのではないかと思います。
③泣き寝入りするしかない
上記のことから、結局、おとなのいじめに関しては、泣き寝入りするしかない場合がほとんどです。
仕事に関して言えば、いじめられて、精神を病みながらも、仕事を続けるか、いじめられたにも関わらず、自己都合退職をするしかないのです。
伝わりましたでしょうか?
これまでに何度か書いていますが、いじめでそれに関わる全ての人が不幸になることはあっても、誰かが幸せになることはありません。
また、いじめる人の中には、もっともらしい正当な理由らしいことを主張する馬鹿な人がいますが、いかなるものも、いじめてよい理由にはなりえません。
いじめなんて無意味なことはやめて、そんな無意味なことで、自殺をする人や、嫌な思いをする人がいない社会を目指すべきです。
大人は、一刻も早くいじめを辞めて、子どもに胸を張って「いじめはダメだ。クズ人間のすることだ」と教えるべきではないでしょうか?
そんなことを考えた、次の誕生日を迎える前のとある一日。
さて、明日もがんばりますか。
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