さて、岐阜のとあるところで、仕事です。
今日は、ちょっと仕事中に気になったところを議題にしてみようと思います。
最近は仕事でも、家事でも、何でもかんでも効率化が求められています。
効率化は大いに結構だと思うんです。
ボクも、無駄なことなんて一切したくないです。
しかし、効率化といって、少しの手間を惜しんでいる人が多いように思います。
効率化と手抜きは紙一重
仕事で少しの手間を惜しんだばかりに、大きなトラブルに発展したということはないでしょうか?
例えば、商品を販売する仕事をしていたとして、客から説明を求められた際、必要最低限の説明のみをして、あとでそんなこと聞いていない、などといった苦情に発展するような経験をされたことがある方もいるでしょう。
販売者側からしたら、必要な説明はしているわけで、客から追加の説明を求められたわけではなく、ちゃんと仕事をしています。
求められない説明をすれば、接客に余計な時間がかかるし、そもそも求められていないのだから、余計な説明は不要、効率を考えれば、必要最低限の説明で、余計な時間をかけずに売り上げをあげているわけだから、なにも問題はないのです。
しかし、その後、客側に不都合が発生した場合、客からしたら、説明不足=手抜きとなってしまい苦情が発生してしまうのです。
これは、料理でも同じです。
ネットで検索すればレシピなんてたくさん出てきます。
そして、レシピに誤りがない限り、レシピ通りに作ればそこそこおいしいものが出来上がります。
にも関わらず、残念な味になってしまうことがあるのです。
味付けの際、計量スプーン等の洗い物が増えるのを避けるため、目分量で味付けをした場合などです。
洗い物を減らす効率化を図っているが、結果おいしくないものが出来上がっています。
調味料を計量しない=手抜きとなってしまうのです。
このように効率化も結果が伴わなければ、ただの手抜きとなってしまうわけです。
効率化と、手抜きは紙一重なのです。
少しくらいの手間は、惜しまないほうが良い
少しくらいの手間は惜しまないほうが良いわけです。
相手があることなら尚のことです。
上記の例で言えば、客にちょっと気を利かせて、余計な説明をする手間をかければいいと思います。
そうすれば、苦情が発生して面倒な対応をする必要もなくなるのです。
料理についても、ちゃんと計って味付けすればそれなりにおいしくできるのです。
おいしければ、相手も喜んでくれ、喜んでくれるのを見て自分もハッピーになれます。
結局、少しの手間は、自分に返ってくるんです。
以前「何らかの使命や目的を与えられて生まれてきたのであれば、きっと有意義な人生なんだと思う」という記事の中で、万事は細部の積み重ねで構成されるということを書きました。
少しの手間も細部にすぎないが、万事を構成する一つとなるのです。
小さな手間を惜しんでばかりいては、大したものはできません。
ダメな人ほど手間暇かけよう
料理でも、素材が良ければ、大して手を加えなくてもおいしくいただけます。
しかし、素材がダメであれば、下処理をしっかりするなど、調理に手間と時間をかけなければおいしくはならないのです。
それと同じことだ。ダメだと思っている人・ダメだと思われている人ほど、あらゆることに手間暇をかけなければならないのではないかと思うんです。
自分自身も、料理でいうなら、下処理もしないで進めていた人間だから、多くの失敗やミスをしてきたから、こういうことが言えるのです。
というよりかは、手間暇を惜しむから、ダメだと思い・思われてしまうのです。
今の小さなひと手間は、自分の万事を構成する細部の重要な一つとなるのかもしれません。
改めて、自責の念を込めて、こんな事を考えてみました。
さて、食事もきたので、今日はこの辺で。
さ、明日もがんばりますか。
コメント