人は「誰かの役に立つ」ことにより自分の存在価値を高めるが、相手の反応は期待してはダメ

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桜が綺麗に咲いていますね。

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ほんとに、惚れ惚れするようにキレイに咲いています。

人間という生き物は、自分の存在価値を「高める」「認める」には、誰かの役に立っていることを自覚したときであると思うんです。

それは仕事においても、日々の生活においても通じることであるんです。

例えば、仕事において、とてもやりがいがあり仕事が楽しいと思えるとき。

それは社会に貢献し、友人、家族、顧客など周りの人たちから認められるときです

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すなわち「誰かの役に立っている」ことを実感できているときです。

このようなときは、仕事も楽しいし、自分の存在価値を大いに認識できて、とても充実した日々であることでしょう。

家庭や友人関係などでも同じではないでしょうか?

自分の言動により、周りの人たちが喜んでくれる。感謝される。期待もされる。

そして「誰かの役に立っている」ことを実感し、有意義に自分の価値を自分でも認められるのです。

では逆に、周りの人たちは関係ない、自分は自分の好きなことをやるとします。

・・・というのはどうだなんでしょうか?

これも、結局は、自分自身が「誰かの役に立っている」という認識が出来なければ、上手くいかないことではないかと思うんです。

よく「自分の好きなことやりたいことを仕事にしよう」というのがありますけど、錯覚してはいけません

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ボクも実際に、このブームに乗っかっていたことがあります。

しかし、実際にやってみると「なんか違う?」「自分のやりたいことはこれではなかった?」と思うことがありました。

もしすると、現在のことも、近しい未来では「なんだこれ?」ってなるかもしれません。

これは、本来自分の好きなことを仕事にしているのだけれど、上手く回らない、結果が出ないと「なんか違った?」ということになるのです。

結局、思うような結果や評価が得られないということは「誰かの役に立っている」と実感出来ないのです。

実感出来なければ、周りから認められなければ、不平不満が出てしまうのが人間です。

それでも、目に見える効果が得られなくても、自分のやっていることは「意義がある」「きっと喜んでもらえる」と思える人は幸いであるし、強い人間であると思います。

そのような人はきっといずれ結果を出すことができるでしょう。

結局のところ、何が言いたいのかというと・・・

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人間というのは「誰かの役に立つ」ことにより、自分の存在意義、存在価値を高められるということなんです。

だから、大いに「人の役に立つ」「誰かの役に立つ」ことを率先してすることが、人生を有意義に過ごすことにつながるのではないかと思ったりします。

むしろ「誰かの役に立つ」こと以外の個人プレイでは、物事は上手く行かないのでは?ということです。

それは、一時的には楽しいかもしれません。

しかし、いずれはすぐに飽きるし、寂しさや虚しさが訪れるのです。

きっと、同じことの繰り返しとなるのではないでしょうか?

さて、ここでよくある注意点が一つあります。

それは、相手のためを思ってしたことの「押し付け」です。

ここ、最近とあるSNSでの投稿でこれをよく見かけるんです。

うん、大丈夫なんだろうか?

自分は相手のためを思って、良かれと思ってしたことであるが、それが必ずしも相手のためになるとは限らないわけです。

相手から良い反応が得られなければ、とたんに不機嫌になる人がいます。

これも、結局は個人プレイでしかないのです。

相手のことを思ってというよりは、相手の役に立ったことを自分が実感したいがための言動の場合である。それは相手のためではなく、自分のための行為でしかないのです。

せっかく「誰かの役に立つ」ことをしておきながらも、相手の反応を期待する時点でそれは「自分のため」に瞬時に切り替わってしまうのです。悲しいかな・・・

これは、気持ちはよくわかるんです、ボクも同じ経験がありますから

相手に喜んで欲しいからこそ期待してしまうことでしょう。

「 自分は相手のことを良かれと思ってする 」

それはもしかしたら大きなお世話かもしれません。

自分の勘違いかもしれません。

そう思えたら、次は気を付ければいいのだと思うのです。

相手から良い反応が得られなくても、自信を持って「相手のため」と思えるなら、きっと相手の反応なんか気にしないはずです。

まとめてみると、こんな感じになりました

人は「誰かの役に立つ」ことにより自分の存在価値を高められるということなんです。

だから、大いに「誰かの役に立つ」ことをしようって思うのです。

しかし、相手の反応を期待した時点で、それは「誰かのため」でなく「自分のため」に切り替わってしまうということなんです。

まず「自分のため」だけに集中しているのであれば、結局は得られるものはあまりないのではと思います。

小さなことからコツコツと・・・

ではでは。

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