さて、昨日から京都に。
夜は、とっても素晴らしい料理をいただいて感無量の日々を過ごしておりました。


そんな天変地異が起きれば、ボクたちが日々頭を悩ませ、こだわっている憂いのほとんどは吹っ飛んでしまいます。
▼学校に行かなければ、クラスで仲間はずれになる
▼ここで上司にポイント稼いでおかねば、出世に響く
どっちでもいい問題になるのです。そう、どっちでもいい・・・
ふと、このことについて思い返してみました
たとえ天地がひっくり返るような、天変地異のさなかでも、これだけは絶対に譲れないという、人生の大事はあるのでしょうか?
仏教の世界では「ある」と説かれます。
これを「一生参学の大事」といいます。
参学とは・・・
さん‐がく【参学】
〘名〙 学問をすること。特に仏教を学ぶこと。
※正法眼蔵(1231‐53)弁道話「大白峰の浄禅師に参じて、一生参学の大事ここにをはりぬ」 〔黄鎮成‐送澗泉上人游方詩〕
https://kotobank.jp/word/参学-512963
現代社会もめまぐるしく変動しています。
最近の流れは異常なぐらいのスピードで展開しています。
もう年功序列とか言って浮かばれる時代ではないのです。
突然、あるワンマンの中小の経営者の社長から電話がありました

社長は、SEO対策だの、リスティング広告だの、動画戦略だの。時代についていけず、最近、会社を後進に譲られたそうです。
効果的なダイレクトメール戦術を長年の経験と知識から磨き上げて、社員を叱咤激励して、会社を牽引してこられたそうですが「そんな信念は、今はもう何の意味も持たなくなってしまった」と寂しそうに電話で語っておられました。
一世を風靡したビジネススタイルだったかもしれませんが、それが。たちまち過去の遺物となり、時代の寵児ともてはやされた人も、今はどこへ行ってしまったやら・・・
ま、とある界隈でいうなら『情報商材業界』と呼ばれていた部類の人々は『ネットワークビジネス業界』に参入して、その後は海外に高飛びなんてことも、沢山見てきました。
また、資金が足りなくなれば日本に凱旋して…みたいな風潮だった矢先に、コロナ騒動となり、あるフィリピン不動産に片足を入れた方からも帰れなくなったからお金を貸して欲しい…という電話もあったぐらいです。
たとえ世の中がどんなに変わっても、天地がひっくり返るような、環境の変化に見舞われても、譲れない信念、守るべき誇りがありますか?
ボクの親友には、本当に『心』を大事にしている人がたくさんいます

そういった「自分軸」を持たず、常に変動する他者が「こうすればいい」「これぞ成功」と語っているものに、自分もなれば幸せだといえるのでしょうか?
たとえ地球の自転軸が変わっても、微動だにしない「自分軸」はなんだろう?
時に立ち止まって考えてみる必要があるのではないでしょうか?
ま、一人一人住む世界が異なるから、共感することの大切さを知るってことなんじゃないか?って思うんです。
ではでは。
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