大学を卒業し、道を外れてニートというか、暗黒な世界に入社して働いて、明るい社会復帰をして振り返ってみるとやめてきたことは沢山あります。
暗黒社会に入社したばかりの頃は、先輩や上司から学んだ方法でしか仕事はできないけれど、仕事をしていくうちに自分で取捨選択できるようになってくるわけです。
いわゆる『欲』というヤツですかね?
ボクは【何かを始める】ことと同じくらい【何かをやめる】ことが大事だと思っています。
ま、人間の器が100%だとするなら、何かが100%入っていたら、それ以上に入らないし…という発想ですかね?
ボクが、ここ最近で仕事関係でやめてよかったことをまとめてみます
1.束縛される暗黒な社会をやめてよかった
大学を卒業してから、ボクは正社員で働くという選択を一度も考えたことがなかったんです。
ま、就職氷河期って素晴らしい時代背景もありましたけどね。
理由は“正社員=束縛”という考えしかボクの中にはなかったからです。
それが、素晴らしいことだとか、自分の夢だとかそういうことではなく、ただただ『いい大学に入って良い会社に入って~』が一般的な考えだった時代だからという理由だけで、大学を出たという感じです。
ま、子どものころからファミリーベーシックを使い倒して遊んでいたので、ある程度のプログラミングもどきみたいなものは出来たし、なんだかんだで、仕事を生み出すスキルはあったし。
その自分の固定概念に気づいたのも、フリーランスとして働き始めてからでした。
ま、フリーで働き始めた当初、働いているのにもかかわらず「こんな働き方でいいのだろうか?正社員にならないと社会から認められないんじゃないか?」なんて不安になることがありました。
なんなんでしょうかね?この不安は…
その不安の出処が、どこなのか深く考えた時に気づいたのが、自分のなかにある「 当たり前 」という固定概念だったんです。
また『 ◯◯は安泰 』だという現実とは異なる概念にも気づけたんですよね。
正社員だからと言って、給料が上がり続けるわけでもないし、一生仕事があるとは限らないわけです。
暗黒な時代もそうでしたね。
もちろん、貯金が増えていくわけでもないのです。
2.8時間労働をやめてよかった
最初に起業した時は、残業あり・15時間労働/日も当たり前のような環境で働き方をしていました。
きっちり、8時間労働/日で済むようなところで働いたことはなかったのです。
ま、暗黒時代と比べれば、かなり気軽になりましたけど…
“自分の能力が不足している時は、残業するのは当たり前だ”
“クライアントを待たせるくらいなら、自分が頑張ってしまえばいいだけだ”
そんな気持ちで毎日遅くまで働いていていましたね。
けれど、長時間労働していると物理的に時間が足りなくなりまともな生活は送れないのです。
家に帰って寝るだけの平日。
たまった家事をこなすための休日。
食事は、ほぼ外食です。
あっ、今も変わらない感じですけど…(笑)
仕事だけの人生を送っていたけれど、仕事だけの人生がいかに自分に向いていなかったかフリーになってから気づくことができました。
1日の労働時間を減らすと、まずは、家事ができるようになります。
自分のために掃除をしたり、部屋を清潔に整えたり、休日にまとめてやっていたことを毎日できるようになるのです。
そうすると休日がちゃんと休日になる。
それで、やっと私は自分らしさを取り戻したように思うんですよね。
3.即レス・即対応をやめてよかった
営業代行系の仕事をやっていた頃、クライアントに「24時間365日営業してるんでいつでも電話してくださいね」なんて言って、実際に対応していた時期がありました。
なんでもかんでも即対応をしていた結果、体調が悪くなり「そんなに顔色が悪い状態の人には、仕事をお願いしたくても出来ないよ」と言われてしまうこともありましたね。
常に連絡が取れる人…という印象を与えるにはいいかもしれない。
しかし、人間である以上、仕事以外にもやることがあるのです。
仕事が早いだけはダメ。
「この人と仕事すると前向きになれる、元気をもらえる」
こういう印象を与えるような人間でいることも大事だと今は思うのです。
だから、まずは自分を大事に、健康に気を使ったり、気持ちを落ち着かせるような時間が持ちつつ、適度な早さの対応が良いんじゃないでしょうか?
4.愚痴・不平不満を言うのをやめてよかった
本当に思う。
愚痴からは、何も生まれない。
正直、愚痴を聞くのもエネルギーを使うんです。
でも、だって、どうせ、だから…と口を開いた瞬間にキレたくもなる。
ま、人間だから、そういう感情がないわけではない。
不満を心に感じることはあります。
そう感じた時に、誰かを飲みに誘って、愚痴を言ったりせずに、自分の予想とどう違ったのか?
本来どうあって欲しいのか?
こんな感じで、ひとり会議をして考えたりします。
その方が間違いなく未来につながるんです。
5.遠慮をやめてよかった
人間関係は、円滑なほうがいい。
そう思って、自分の考えを言わないこともありました。
でも、それは責任を放棄しているだけで関係が良好になるわけではないのです。
プロジェクトを成功させるために集まっているメンバーなら、自分の考えを言ったところで人間関係が壊れることなんてありえないのです。
人間関係が壊れた時点で、それまでの人間関係だったんだなぁ…って、精算してしまえばいいだけです。
むしろ、自分の考えを言うことが仕事です。
クリエイティブ・ディレクターって、そういう仕事だし、手数を減らしたり、スムーズにしたりするのは、本音で話さないと伝わらないことって、いっぱいあります。
契約に関してもそう。
何も言わずに不満を抱えたままにするくらいなら、お互いが納得する形に話し合って決めれば良いと思うのです。
遠慮するということは、自分の意思を曲げ我慢をすることと一緒です。
遠慮せず言ってみて、ダメだったら、それはそれでいいじゃないかと、今は思うんです。
6.他人と比較するのをやめてよかった
仕事関連で、他人と比較するといえば、収入と業務内容だったりします。
どんな仕事でもその仕事が存在している以上、世の中に貢献しています。
収入も、業務時間や業務内容と比例しないことだってあるのです。
仕事について、他人と比較して落ち込んだり見下したりするくらいなら「自分はこの先どういう風に仕事をしてどれくらい稼ぎたいのか」を考えて実現していったほうが心が元気でいられます。
遠慮と貧乏はするだけ損…なのです。
7.我慢するのをやめてよかった
仕事は、我慢をして稼ぐものだと思っていたが、本当は違ったのです。
- 我慢して仕事をしている人
- 前向き、かつ積極的に仕事をしている人
どちらに重要な仕事を依頼するかと言ったらどう考えても後者です。
時に、仕事には忍耐が必要な時もあります。
でも、我慢と忍耐は別物です。
昔のボクは、それを知らず、我慢に我慢を重ねて「なんで報われないだろう」と負のスパイラルに落ちていったことがあります。
我慢をするメリットはひとつもないのです。
なかなか気づけない自分の固定概念
ボクがやめてよかったことのほとんどは、やめるべきことだなんて1ミリも思っていなかったのです。
むしろ良かれと思っていて、やっていたことだって、たくさんあります。
でも「なぜやっているのか?」と自分に問いた時に、本来の自分とは異なった固定概念を持ってることに気づいたのです。
自分の固定概念のなかにも、実は自分が心からそう思っていないことも紛れていることがあります。
- 育ての両親からそう言われて育った…
- テレビではそう言っている…
- 一般的にはそうだろう…
他人に植え付けられた自分の固定概念に気づくことはなかなか難しいのです。
だからこそ「なんでこれやってるんだろう」と心にモヤがかかった時は、そのままにせずに一旦やめてみると自分の間違った固定概念に気づくことができると思うんですよね。
ま、一回立ち止まって、周りを見てみよう。
そういうことなのかもしれません。
さて、今日も弾丸で出張してきます。
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