我慢して仕事する。
仕方ないから仕事する。
・・・と、自分の仕事に対して不満があり我慢しながら働いている人も多くいるんだと思うんです。
ボクも一時期そんな時期もありました。
「収入を得るためには、それなりの我慢や忍耐が必要だ。だって仕事だから。」という考えも持っていました。
- 仕事は甘いもんじゃない
- 仕事は誰かがやりたくないことをやってあげることで金に変わるんだ
こういうニュアンスの考えは、世間一般的な考えにもあると思うんですよね

ボクはそういった考えに疑問も持たず、ひたすら我慢していました。
でも、今思うのは「自分の我慢に対しての見返りは、あまりにも少なかったんじゃないのか?」ということです。
ま、見返りを求めている時点でダメなんでしょうけど、突然のトラブルで友人との約束を何度もドタキャンしたり、そもそも会うことすらも出来なくなった時期もありました。
生活は乱れ、食事はテキトーでしたね。
今でも若干、そのクセが抜けていませんが…
以前は、部屋を整理整頓するヒマもなく、倒れるように寝て、仕事に出かけて行く毎日。
それで得ていたのは何だったんだろう?と考えると、わずかな収入と経験でした。
失ったもののほうが多いわけです。
なぜ、そのような事態に陥っているのにもかかわらず、自分を変えようとしなかったのか?

大きな原因のひとつは『自分の我慢を安く見積もりすぎてた』ということでした。
収入額に満足していたということはなかった。
「これくらいの収入なら生きていけるだろう」という感じです。
日々、我慢をして収入を得ることを選んだはずなのに、銀行の通帳を見て飛び跳ねるほど喜ぶこともないのです。
飛び跳ねて喜ぶほどの収入ではなかったということもありますけど…
自分がやりたい仕事・働きたい事業であれば、働くという行為で得られることは沢山あると思っています。
でも、やりたいことでもないことをやらされていると感じているならば、それ相当の見返りを求めて当然だって考え方もあると思います。
やりたいこともできず、やりたくもないことに人生を注ぐということは、本当はやるべきじゃない。
けれど、我慢する人生を選ぶなら徹底的に見返りを求めていいんじゃないでしょうか?
「たくさん稼ぐには、それなりの我慢が必要だ」と自分の過去メモから出てきたんですけど、考え方が間違ってるなと今では思うわけです。
イヤイヤ仕事をやっている人や、その仕事がニガテな人に、誰が仕事を依頼するんだよ!と振り返るわけです。
依頼が殺到するのは、好きでその仕事をやっている人や、その仕事が得意な人に決まっています。
それで稼ぐことにつながるんです。
だから、できる限りムダな我慢をしない。
我慢するなら、きっちり見返りを求める。
我慢して仕事に潰されるような人生にしないためには、自分を安く見積もらないことが大事だと思う今日このごろでした。
ではでは。
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