ランキングや他人の評価に振り回されないってことについて考えてみた

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コンビニのデザートをホテルの料理人とか、有名店のパティシエとかが食べて、評価して「合格・不合格」の札を出す、というテレビ番組を見たことがありませんか?

img 8eaba4cb8d2f0530932ff0e540dbf21b247449 - ランキングや他人の評価に振り回されないってことについて考えてみた

コンビニの開発担当者が、考えに考えて、改良に改良を重ねて、実際に売り上げも立っている「人気商品」を世の中の有名料理人にジャッジされるわけです。

すごい肩書の料理人さんたちは、もちろん舌が肥えていると思うんです。

そう、味にうるさいのは間違いないと思います。

悪い意味ではなくて・・・

自分たちの作った食べ物は高価格でやりとりされる日々のため、「味と技術」に価値がついている自負があるのでしょうか?

そのような人たちに、コンビニの商品を評価してもらうのです。

収録の場に来た、コンビニ側の商品開発担当者たちは「バッサリ切り捨てられる」覚悟でいたことだろうし、自分が一生懸命開発した商品をいろいろ言われるわけですから、気が気じゃないって思うんですよね。

一般人の口に合うように、一般人が気軽に買えるように、万人受けしてよく売れるように、開発して実際に結果を出している商品を、ある分野で尖った存在になった料理人にジャッジさせる企画自体になんか違和感を感じたのはボクだけでしょうか?その料理人さん、そもそも普段コンビニとか行くのかな?と思いながら見ていたわけです。

料理人さんたちが想定した顧客(味を届けたい相手)と、コンビニ側が想定した顧客(味を届けたい相手)は異なると思うんですよね。

コンビニ側もわざわざ不味い商品を作って、自分の会社を潰すようなことはしないでしょうし、ターゲットのズレた戦略を立てるはずはないと思うのです。

味、おいしい、ってこれは「個人の好み」ではないでしょうか?

個人の好みって、実は、測るのは難しいんですよね。

売り上げランキングに則って、下位から順にジャッジを受けているじゃないですか?

下位でも「合格」の札が出たり、中位でも「不合格」の札が出たりします。

さすがに上位は「合格」の札が多く出ますよね。

だって「上位」なんですもん。

舌の肥えた名だたる料理人たちが「味を認めた」コンビニ商品、と言えるわけです。

そんなに言うなら食べてみたくなる・・・ってなるじゃないですか?

しかも、コンビニなら近所にあるわけだし。

普段着で行って、すぐに帰ってこれます。

たまたま録画をしていた番組を見ようと思ったとき、この手の番組が放送されていて、コンビニのランキングが放送されていたわけです。

で、早速ですが足を運んでみましたよ、早速!

どんだけミーハーなんだよ・・・ってお話です。

デザート関連の棚には「〇〇で紹介された、ランキング第●位」のPOPがあります。

そして、その商品は売り切れです。

すごいですよね。

多分、ボクみたいなミーハーな昼下がりに立ち寄る人間が山ほどいるのでしょう。

でも、あのPOPを見て気づいたんです。

ああ、プロモーションの一環だったのか!

「すごい人」の評価を受ければ、「一般人」はその評価を信じてしまうものです。

自分で考えずに、すごい人の言うことを信じる。

だってすごいんですからね。

間違いなく、その方面では無双モードに突入している人でしょう。

だから、普段買わない人までも、購入したのではないでしょうか?

だから、棚から商品が消えたのです。

よくできている。

本当によくできている。

人の心理をコントロールして購入につなげる

よく仕組み化されていると思いますよね。

ボクは感心して、いつものチューハイとコーヒーだけを買って店を出ました。

それから数週間して、その話題を思い出したので、久しぶりにコンビニに行ってみたんです。

今度は、棚に並んでいました。

けれど、あのPOPはなかったわけです。

コンビニのような場所は、ひとつの戦略だけにしがみついていられないのです。

常に、新しい何かを見せ続けないと飽きられる。

そういう大変な場所なんだなって感じたわけです。

さて、難なく、ランキング上位で紹介されていたデザートを手に入れました。

で、食べてみる。

「さすが上位だけあっておいしい」と、思ったと思います?

3 5 - ランキングや他人の評価に振り回されないってことについて考えてみた

食べたのは大福だったんです。

有名料理人たちは、評価していた大福ですよ。

個人には、どこにでもある大福のように感じました。

いや、もしかしたら和菓子屋で売っている大福の方が素晴らしいと思ってしまいました。

購入する人の中には「有名料理人が評価した」が脳内で味をポジティブに変換しているかもしれません。

有名料理人がおいしいと言っているのに、「おいしい」と言わないと、自分の舌は「味がわからない舌」だと評価してしまうのかもしれませんね。

でも、そんなケースって味に限らず、いろんな場面であるんじゃない?って思うんです。

絵の良し悪し、文章の良し悪し、作品の良し悪し。

数値化できないもの、数値化しにくいものは、その傾向があると思います。

料理人たちの評価は「やらせ」だったのか?

もしかして、お金が動いたか?みたいなちょっとダーティーな推測も一瞬浮かんだけど、このご時世、テレビで嘘はつかないって思いたいものです。

さすがに、NEWSとかは、切り取りの部分や記者の主観が入るので一概にいえないけど。

個人的な推測だけど、料理人たちの評価には「コンビニの商品としては」が頭についているのかな?って思ったわけです。

コンビニで売られる価格帯で作った商品にしては、安定供給のために機械で大量に作る商品にしては、「おいしい」ということなのかもしれません。

絶対値ではなく、相対値なわけです。

私のように、大福を食べて「大福の味がする」と感じる人間よりも、コンビニの商品だろうが高級和菓子店の商品だろうが、「おいしい」と言える人の方が多分幸せだ。

世の中の購買の流れをみていて、そう思ったんですよね。

味のランキングもそうだけど、他人の評価を気にしない生き方は、世間一般と話が合わない副作用が生じるものなのかもしれません。

ランキングや他人の味覚を否定しているつもりは全くないんです。

誰かが「おいしい」と感じるなら、その「おいしい」は紛れもなく「おいしい」ので、その感覚でいいと思うんです。

むしろ「おいしい」と胸を張って言える人が羨ましいのだと思いましたかね。

純粋な心を汚す行為だけは、よろしくないのかな・・・と思う出来事でした。

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