自由に生きる方法は、思い切って「いい人」をやめること。
周りの目を気にするあまり、自分で自分の自由を手放してはいませんか?今の生活を不自由だ、窮屈だと感じる理由は、自分の置かれている環境よりも、内面的な部分に原因があるかもしれません。今回は、自由に生きるための7つの方法を提案してみたいと思います。
社会人となり、自分の人生を自由に歩めるようになったと思ったけれど、なんだか今まで以上に生活が窮屈になっている気がする。
思い描いていた自由と現実とのギャップに苦しむ理由は、過度に「いい人」であろうと振舞ってしまうことにあります。
「いい人」であろうとする努力は、社会人として生きるための必須スキルではありますが、負担となってしまっているのならば考えもの。
「いい人」をやめて、思い描いたように自由に生きるための7つの方法を見ていきましょう。
心が窮屈で不自由を感じる人の共通点
そもそも、なぜ、本来自由であるはずの生活を不自由だと感じてしまうのでしょうか。
まずは、普段から不自由を感じる人の特徴から、原因を探ってみましょう。
①常に空気を読もうとする
「空気の読める人」と言うと、美徳のように聞こえますが、裏を返せば周りの意見に流されやすいという見方もできます。
多くの人の意見が自分の考えと違っていても、自分の意見を口に出さず、周りに合わせることは、身動きがとりづらくなる主な原因の一つ。
しかし、同調圧力に対抗することは勇気が必要であり、場合によってはひどくストレスを感じてしまうかもしれません。
周りに合わせることは、ある意味楽な手段でもあるのです。
「楽」と「自由」を天秤にかけて「楽」を選んだ結果とも見ることができます。
②周りの評価が気になる
「自分のしたことが周りの目にどう映るか」を、行動の基準にしてしまうことはありませんか?
- 承認欲求が強いせいで、人からの評価が行動の動機の全てになっている。
- 周りから変な人に見られるのが嫌だと思い、何かをしたいと思っても消極的になってしまう。
これはどちらも、周りの評価を気にし過ぎた結果に生じる不自由です。
他者を軽んじることは決して褒められた行為ではありませんが、重く捉えすぎても、返って不自由になってしまいます。
③頼まれると断れない
頼まれごとを断ることは非常に心苦しいことですし、できる範囲で協力しようという姿勢は素晴らしいもの。
しかし、「この人に頼めば断られない」という印象がつくと、途切れる間もなく誰かのために働き続けることになりかねません。
優先すべきことや、自分にとっての不都合があるなら、時には人の頼みを断ることも必要です。
ここまでに挙げた3つの例を見てみると、いずれも、「いい人」であろうとするあまり、自分の意思が二の次になっていることが分かります。
つまり不自由さと窮屈さは、自分の思う「いい人」を優先して、自分の思ったことや、やりたいことができない状況が根本的な原因なのです。
さて次から、7つの方法のご提案です。
自由に生きる方法7選をご紹介します
①嫌なことは断る
まずは、そもそもの前提として、自分が本当に嫌だと思うことは、迷わず断るようにしましょう。
社会で生きていく以上、人との関わりは切りようのない要素です。
しかし、「人と関わる」ということと「人に合わせる」ことは違います。
お互いの関係をより良くしていくという意味でも、自分が嫌だと思ったことをハッキリと意思表示するのは、大切なこと。
自分の考えを言える環境を得るためも、普段からNoを主張することを心がけましょう。
②たまには愚痴を言う
嫌なことを断るように心がけても、断れないことや、結果として嫌な思いをすることは必ずあります。
そんなとき、自分の中にある嫌な思いをただ溜め込むのは、精神衛生上、非常に良くないです。
辛いことがあったときは、辛いと思ったことを誰かに話しましょう。
人によっては「話したところで変わらない」と思うかもしれませんが、他者に自分の思いをアウトプットするということは、想像以上の力を持っています。
人に愚痴を聞いてもらうだけでも、案外スッキリするものです。
しかし、誰にでも話して回るのは問題です。
気心の知れた友達や信頼できる上司など、「この人だ」という存在を思い浮かべられるようにしましょう。
③ちょっとわがままになる
やりたいことがあるのなら、誰かの手を借りることを躊躇ってはいけません。
誰かに迷惑がかかることを心配してしまうのは仕方ありませんが、迷惑をかけるからといって全てを諦めてしまっては、自分にできることは何一つなくなってしまうでしょう。
誰かに協力するだけではなく、時には誰かに協力してもらうことも念頭に置くようにしてください。
強い願望があるなら尚のこと、多少は無理を通そうとする気概を持つくらいが丁度いいときもあります。
助けて助けられてというのは、誰だってお互い様。
「誰かのため」の「誰か」に、自分を含めることを忘れないようにしてくださいね!
④自分の意見をしっかり言う
人と意見が食い違うことを恐れてはいけません。
周りと違う視点を持っているということは、社会の中で生きていく上で大きな武器となります。
それを主張できない状況は、自分にとっても周りにとっても宝の持ち腐れです。
「この考えは間違っている」「こんな考え方もある」と思ったときは、素直に口にしていきましょう。
結果として、それが全体の利益へと繋がります。
ただ、言い方には気をつけなければなりません。
一方的に誰かを否定したり、自分の意見を押しつけたりするような言葉になってしまうと、自分の立場が悪くなってしまうだけになります。
相手の考えを尊重し、思いを汲んだ上で自分の意見を言うことができれば、周りも気持ちよく意見を聞いてくれるでしょう。
⑤嫌われることを怖がらない
自分の考えや意志を隠さないと破綻してしまうような関係は、到底価値あるものとは言えません。
自分のダメだと分かっているところを放置しておくのは問題ですが、性格や趣味趣向を捻じ曲げて、その場の空気に同調することは、自分で自分の人格を否定しているのに他なりません。
全ての人と仲良くしようなんて、到底無理な話です。
しかし、ありのままの自分を受け入れてくれる人は必ず存在します。
嫌われるのは辛いことですが、そこから逃げるだけでは自分に窮屈さを強いる結果になります。
しかし、そこを越えた先も続く関係は、生涯自分にとって支えとなってくれるでしょう。
⑥無理に人に合わせるのをやめる
周りに気を遣いすぎるあまり、できないことを「できる」と言ってしまったり、スケジュールを切り詰めたりしていると、どこかで必ず生活が破綻します。
無理を通す努力は常用するものではないのです。
最低限のコミュニケーションは必須ですが、一方的に自分が合わせるだけにならないよう注意してください。
自分にとって、これだけは譲れないというボーダーラインをあらかじめ決めておくのもオススメ。
そうすれば何を優先させるか迷う必要もなくなり、必要以上に周りに距離を置いてしまう心配もなくなります。
⑦「優しい人に見られたい」という思いを捨てる
周りが持つイメージの中でも、「優しい人」という印象は、一番良いイメージを持たれやすいです。
しかし、これは一歩間違えば「利用しやすい」「何をしても怒られない」という印象になってしまいかねません。
そうなると、公私ともに損をこうむる可能性もあります。
表層的に優しく振る舞うだけの行為は、巡り巡って自分の首を締めてしまいます。
そして、実は、本当の優しさはなかなか人には伝わりづらいもの。
安易に優しく見られようとするくらいなら、そんな思いは早々に捨ててしまった方が良いでしょう。
「良い人」をやめて自由に生きる注意点
繰り返しになりますが、自由と不自由の境界線は、「自分本位か否か」という点にあります。
それに合わせて、今回は自分の意思で行動を決定していくための方法をご紹介しました。
その上で念頭に置いてもらいたいことがあります。
それは、『自由に生きる』と『身勝手に生きる』は全く違うということです。
「勝手に生きる」というスタンスで前項の方法を使ってしまうと、今回の記事は「何をしても気にするな」ということを意味するものになってしまいます。
もちろん、そうではありません。
自由には、常に責任がついて回ります。
自由に生きる以上、自らの行動や発言に常に責任を負う義務が生じるのです。
自分の考えを主張するならば、他者の意見を尊重する義務があります。
やりたいことを邪魔されたくないなら、身勝手に振舞って誰かのやりたいことを妨げないようにする気遣いも大切ですよね。
自己中心的になり、礼節を欠く行為は、自由ではありません。
自由に生きる上で、他者の自由を尊重していくことは、何よりも大切なことです。
最後に
今回の記事では、前半では人に気を遣わないための方法をご紹介しました。
そして後半では、人を慮ることの大切さを述べました。
一見、矛盾していることを言っているように思えるでしょうが、実際にこの二つは不可分な要素です。
自分のことを考えつつ、周りのことも考えていかなければならないのです。
それほど、自由に生きるのは大変なことなのです。
人に合わせて生きるのは、ある意味楽な選択です。
物事の勘定に「自分」を含めないだけで、行動する上での計算が単純になるからです。
しかし、その生活を不自由だと感じるということは、少なくとも現状に不満を持っている何よりの証拠です。
「楽」よりも「自由」を求めている証拠なのです。
一朝一夕で自由に生きることは難しいでしょう。それに少なくない努力も必要です。
しかし、努力の方向さえ間違えなければ、自由な生き方を身につけて、窮屈な生活にピリオドを打つことができるでしょう。
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