仕事が「できる」人と「できない」人は何が違うのか?を検証してみた

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仕事をしていると、この人は仕事できるなーと思う人がいます。

ほんと、極稀、たまに出会うんですよね。

その反面、仕事できないだろうなぁと思う人と出会うことも多いわけです。

この違いは何だろう?って考えてみました

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出会って少し言葉を交わすと、なんとなく分かってしまいます。

オーラというか雰囲気というか、その人の体からにじみ出ている何かがあります。

それは、言葉や仕草の節々に、その人の仕事に対する姿勢が表れるからです。

初めて会った相手に対し、どういうトーンで話し出すのか?

・自分をどのように紹介するのか?

・名刺を受け取った際に、相手にどんな言葉を発するのか?

・商談を何からスタートさせるのか?

ほんの些細な行為からも、その人の仕事ぶりを理解するには、十分すぎる程の情報が得られるんじゃないかとボク個人的には考えます。

ボクが、この人は仕事できないだろうなぁと思う人には、いくつかの要素があります。

①話がムダに長い

話が長い人は、基本的にあまり信用しない。

・・・というのは、物事の本質が理解できていない場合が多いからです。

今回の案件は何が目的で、要点は何なのか。

本質を理解している人は、よりシンプルで端的に説明してくれる。

ムダに電話だったり、直接会ってどうだのこうだのって、そんなに回数がない。

本質を伝えようとするなら、余分なやりとりは極力削るべきだって思うんです。

そうしなければ、相手に意図がしっかり伝わらず、結果、求める成果が得られないわけです。(結果の求め方は、人それぞれ違うからと言われれば、それで終わりですが。)

話が長い人は、前置きや過程などを延々と話し、結論が出てくるのがマジで遅い。

本人も、理解できてないので何が大切かも分かっていない。

如実に、1+1みたいな答えにならないことを算数みたいに可能だと思い込んで、期日を押し付けてくる発注会社は、本当に無礼だなぁと思うんです。

②できない理由ばかり話す

何かを問いかけるとできない理由ばかりを話す人。

そうすること自体が問題というより、そう考える思考回路が問題なんですよね。

できない理由があるならば、どうやればできるのかを考えるのが前向きな判断です。

それができない人は、できない理由を述べて自分を正当化しようとします。

まるで、自分に非が無いかのように。

下手すれば、自分は全く関係ないと言わんばかりです。そういう人は、普段から言われた事しかやっていなく、自分で考えたり、意見を述べたりしていないんだろうなぁと思ってしまうわけです。

ま、当然ながら、仕事も、めちゃくちゃ機械的です。

最近知った用語やルールを並べてもらっても、テストも実用もしていないのなら、ミスやエラーが起きるのは当然です。

③行動が遅い

仕事ができる人は、一貫して行動が早い。マジで迅速です。

行動だけでなく、思考も早い人が多いように思いますね。

何が大切か分かっているので、物事の取捨選択と行動の切り替えが早くできるのかもしれません。

メールの返事ひとつでもそうです。

いくつもの案件を抱えていても、とにかく返事が早い。

それは、自分が返事しないと仕事が止まってしまう人がいることを知っているからです。

行動が遅い人は、優先基準が曖昧じゃないかなぁと思います。

取引先にメールを送らず昼休みに入ったり、レスポンスが来るまで何も進めなかったり。当然、仕事の進行は遅くなるわけです。

こっちから催促しても返信がなく、無視し続けるってパターンも多くあります。

④大雑把(がさつ)

これは、ボクの勝手な肌感ですけど、仕事ができる人は、繊細な人、デリケートっていうんでしょうか?そんな人が多いように思います。

物事に敏感に反応することができ、些細な変化にも目がいく視点を持っている感じがします。

それは、メールの文章、挨拶、声のボリューム、食事の仕方など普段の生活にも表れてくるんじゃないでしょうか?

大雑把な人は、微妙な変化に無頓着。

強いてはそれが仕事の出来、良し悪しに大きく関係してくると思います。

要するにこだわりが薄いのです。

「神は細部に宿る」って言葉がありますけど、細部へのこだわりが仕事の質を左右すると個人的に思います。

⑤応用が利かない

ことの本質が理解できていない人は、応用が利かないんですよね。

現場や状況が変わるとパニックになり、すぐに助けを求めます。

助けを求めることが悪いことでは無いが、それではいつまでもひとりで仕事できない人になってしまうわけです。

頭の中で想定している事と、実際の現場が違うのは当たり前。

状況に応じて変化させることができる人は、仕事ができる人だと思うんです。

伝わりましたでしょうか?

まだまだ挙げると色々と出てきそうだが、大きな要素は、こんな感じです。

細分化すれば、こんなものでは終わらない。

これら五大要素は、年齢、性別、経験は全く関係ないはずです。

10代でも、仕事できるなぁと思う人は沢山いますし、50過ぎた良いおじさんでも、この人仕事できないなぁと思う人も沢山いるのが、今の世の中です。

年齢で馬鹿にする時代は、もう終わったように思います。

今、41歳になりましたが、学ぶところは年齢、性別、経験は関係なく学べているのが、今のボクの骨格になってきていると思います。

ここでひとつ疑問がでてきます

20191118 02 - 仕事が「できる」人と「できない」人は何が違うのか?を検証してみた

・では、仕事が「できる」人は、何で「できる」ようになったのか?

・逆に、「できない」人は何で今も「できない」ままなのか?

それは、相手を思う気持ちの差だと思うんです。

仕事は、決してひとりで完成されるものでは無いわけです。

ひとりでできるものならば、それはアートや趣味と一緒です。

仕事とは、お願いする人がいて、それを形にする人がいて、それを提供する人がいて、それを使う人がいるわけです。

人と人の間で作り出されるものなんじゃないでしょうか?

仕事ができる人は、基本的に自分の外にベクトルがを向いています

それは、仕事は自分ひとりで作るものでは無い事を理解しているからです。

ベクトルの先にいる相手のことを考え、何が欠けていて、何をする必要があるのかを見ようとしていると思います。

考えれば考えるほど、メールや言葉使いにも自然とそれが表れ、普段の行動から変わっていくのではないでしょうか?

逆に、仕事ができない人は、基本的に自分にベクトルが向いています

自分にとってどうなのかという考え方をする。

どうやったら得するか、どうやったら楽できるか、どうやったら非が無いようにできるか。

自分の都合で物事を考えるのでコロコロと意見が変わり、相手ありきの仕事にはどうしても不都合や矛盾が生じてしまうんです。

これは、その人の思考回路の問題なので、そう簡単に変えられるものでもないでしょう。経験と蓄積したものなので、なかなか変わるものではありません。

本人が無意識のうちにやっていることが殆どで、これまで育ってきた環境や関わってきた人達に大きく関係していると思います。

なので、例え指摘されても、その根幹まで理解するのは難しく、結局また同じことを繰り返してしまうだろうなって思います。

だから、仕事ができない人は、いくつになってもできないままの人が多いんです。

では、どうやったら「できない」人は「できる」人になることができるのか?

そんなことを次に考えてみたいと思います。

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