なぜならこれは、現代の日本に始まったことではなく、人類の歴史でずっと繰り返されていることなのです。
いつまでも同じ過ちを繰り返すのではなく、そろそろ人類は気づいて改めなければなりません。
今から1900年程前にもイスラエルでニセ預言者とニセ教師が発生していました。
下記の通りです。
しかし、イスラエルの中には、ニセ預言者も出ました。同じように、あなたがたの中にも、ニセ教師が現れるようになります。彼らは、滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを買い取ってくださった主を否定するようなことさえして、自分たちの身にすみやかな滅びを招いています。
ペテロの手紙 第二 2章1節
更に時代を遡れば、今から3300年程前のモーゼの時代にも発生しています。
あなたがたのうちに預言者、または夢見る者が現れ、あなたに何かのしるしや不思議を示し、あなたに告げたそのしるしと不思議が実現して、「さあ、あなたが知らなかったほかの神々に従い、これに仕えよう」と言っても、その預言者、夢見る者のことばに従ってはならない。
申命記 13章1~3節
未来のことを言い当てたり、占いをして違う神に逸らすというニセ預言者やニセ教師たちは数千年も前からずっといたのです。
人を神から逸らして滅びの奴隷にするのは、サタンもしくは、サタンに属する悪霊です。
神や天使のような御使いは、むしろ人を神へと導きます。
大切なことは悩みや未来を言い当てたり、奇跡を行ったりすることではなく、その人が「何を語っているのか?」なのです。
いくら言われたことが当たっても、その人が示す道の先に真理がなく、滅びがあれば一体何の益になるのでしょう。
聖書には占いの霊を使って商売をしている人たちが出てきますが、悪霊でも少し先の未来くらいは言い当てることができるのです。
これらに惑わされないためには、奇跡ばかりに目を向けるのではなく、真理を語っているかに目を向けるべきです。
それを見極めるために真理とは何なのかを知っておく必要があるのです。
そして、我々は自分の短い、人生の経験ばかりではなく、遥かに長い真の人類の歴史から揺るがない指針を学ぶ必要があります。
ニセ預言者やニセ教師たちは、今も昔も変わらず存在しているのです。
それでは、神が居るなら、なぜニセ預言者たちを野放しにするんだ?
スピリチュアル難民が増えて混乱が巻き起こることを神は喜んでいるのか?
というような疑問を持つ方もいると思うんですよね。
実は、上記の聖句の続きにはこのように記されています。
あなたがたの神、主は、あなたがたが心を尽くし、精神を尽くして、ほんとうに、あなたがたの神、主を愛するかどうかを知るために、あなたがたを試みておられるからである。
申命記 13章3節
人は惑わされたり、試みにあうからこそ「何を信じるのか?」「本当に信仰があるかどうか?」「本当に神を信じているかどうか?」が初めて明らかになります。
普段は神を信じていると言っている人が、いざという時に金を持って逃げるという場合、その人は神ではなく、本当は富を信頼しているのです。
こうして、惑わしや試練によって本当に神を信じている人と、本当は神を信じていない人とが、ふるいにかけられるのです。
聖書の別の箇所では、またこのように記されています。
それゆえ神は、彼らが偽りを信じるように、惑わす力を送り込まれます。
それは、真理を信じないで、悪を喜んでいたすべての者が、さばかれるためです。テサロニケ人への手紙 第二 2章11~12節
ここで分かる通り、全宇宙を管理している神ご自身が許可を出して我々に惑わしの霊が送り込まれているのです。
ニセ預言者やニセ教師はその霊達の奴隷です。
これは、ことごとく神が善悪の決着をつけるためであり、良い心で歩む人と
悪い心で歩む人とが、最終的に同じ裁きを受けないように区別するためなのではないかとも言われています。
真心から神を愛し、本当に神を信じて歩む人は、神によって真理の御霊を与えられ
真理と同化して真理を悟り清められ整えられていきます。
実は、この真理そのものがことばとなって地上を歩んだのが、イエス・キリストという実存であり真理をキリストに見た人はもはや迷うことがありません。
聖書が言うように、ニセ預言者やニセ教師の神の裁きは非常に重いです。
そしてその末路は滅びの奴隷です。
願わくばすべての人が、サタンや悪霊に惑わされたスピリチュアル難民ではなく、次々と出てくる教えの風に吹き回されることがなく真理からくる平安で満たされますように。
そして、ニセ預言者やニセ教師をやってしまってると思う方にはすみやかに悔い改める心が与えられますように願うばかりです。
本当の真理である神へと導く伝道者となりますように。
ではでは。
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